雪が降る分、国費を降らせよ

雪が降る分、国費を降らせよ

今朝、起床した際の川崎市多摩区の気温は1℃でした。

天気予報によれば、いわゆる「西高東低」の典型的な冬型の気圧配置で、この3連休も強烈寒波が再びピークを迎えるとのことです。

その影響なのでしょうが、日本海側の豪雪地帯でも、平年を大きく上回る積雪になっています。

きのう14時頃、青森県の酸ケ湯では499センチの積雪となり平年比で約1.4倍、新潟県の津南は369センチで平年比の約1.7倍となったそうです。

本日からの3連休も日本海側を中心に積雪が更に急増するとのことですので、雪崩はもちろん、屋根から落ちる雪、あるいは路面凍結による事故等にはくれぐれもお気をつけ頂きたいと思います。

考えてみれば、わが国は国土面積の半分以上が積雪寒冷地域にあります。

国土を縦に貫く2000メートル級の脊梁山脈の存在が、わが国を「積雪地帯」と「非積雪地帯」というまったく事情の異なる二つの地域に分割しています。

結果、国土面積の60%が積雪寒冷地帯にあり、かつ年間累積降雪量が4メートルを超える豪雪地帯に50万人を超える大都市が形成されています。

日本よりも寒冷な地域に大都市が存在する例としてロシア、カナダなどが挙げられますが、これだけの豪雪地に大人口を抱える都市を持つ国は存在しません。

近代以前のように、冬ごもりで冬をやり過ごせば良い時代とは異なり、冬場でも活発に経済活動を行わなければならない時代になりますと、この豪雪の克服は地域に住む人たちにとって大変な努力を要するものになっています。

私のように東京圏など太平洋側に住む人々が冬でも無雪、乾燥、好天の日々を過ごすことができるのは、脊梁山脈の北側に位置する日本海側が豪雪を引き受け、そこに暮らす人々が雪とともに多湿で雲天のつづく日々に耐えてくださっているからでもあります。

脊梁山脈で雪が落ちなければ、太平洋側にもそれなりの降雪がもたらされるはずです。

ゆえに、日本海側の積雪対策や除雪費用などには、もっと国費が投じられてしかるべきだと思います。

残念ながら現在のわが国では、国土の安全よりも財政収支の均衡のほうが優先されています。

ユーラシア大陸の国々とわが国の決定的な違いは、歴史上、多くの人々が「紛争」で死んだか、「自然災害」で死んだかの違いにあります。

地平線の彼方から、いつ敵が襲いかかってくるかわからないユーラシアでは、共同体全体を守るための「都市城壁」が形成されました。

都市全体が巨大な城壁で囲まれているため、日本のように呑気な城下町は存在しません。

わが国は戦国時代でさえ、あくまでも支配階級同士(しかも同胞同士)の領土覇権争いに終始し、戦が生じても多くの庶民は家を焼かれる程度の被害で一家もろとも皆殺しにされることは滅多にありませんでした。

が、ユーラシア大陸は違う。

都市の中でかなりの数の人々が肩を触れ合うようにして暮らさなければ、すべての家族の命を保障できなかったのです。

命が保障される代わりとして、都市(国)の中で暮らす者としての、すなわち市民(公民)としての義務が生まれたわけです。

狭い城壁内では土地利用も家屋の建築も自分勝手にはできなかったでしょうから、みんなが安全に暮らせるように様々なルールが定められ、そのルールに従うという約束が「公」を受け入れる素地になりました。

これらの人々が、英語で言う「CITIZEN」(市民・公民)になったわけです。

因みに、「CITIZEN」(市民・公民)の語源はラテン語の「CIVIS」(家・社会・定住)であり、英語の「CITY」(都市)の語源もまたラテン語の「CIVITAS」(壁の内側に人々が密集している場所)からきています。

多くの日本人に、「都市(国家)は国民の命を守るもの」という認識が乏しいのは、歴史的にも仕方のないことなのかもしれません。