某政党は、あいも変わらず「身を切る改革」だの「小さな政府」だのと言って、ネオリベラリズム(新自由主義)に基づく行政弱体化政策を主張し続けています。
まこと時代遅れも甚だしい。
彼ら彼女らは執拗に「小さくて効率的な組織体制を…」と訴えていますが、これは平時においてのみ利益を追求する「株式会社」の発想です。
行政はあくまでも「安全保障NPO」であって利益を追求する株式会社ではありません。
自然災害、あるいは今回のような疫病パンデミックなどの「危機」に直面したときにこそ、国民を済うために完全なる機能を果たさねばならないのが行政です。
おぞましくも我が国では長きにわたり「無駄をなくせ…」の掛け声のもとにネオリベ的な行政改革が進められてきました。
しかしながら、実は我が国の行政はそもそもからして大きくはありません。
上のグラフのとおり、主要国と比較しても日本の公務員が少ないことが解ります。
因みに、日本の「政府企業職員」には、独立行政法人、国立大学法人、大学共同利用機関法人、特殊法人の職員が計上され、いわゆる「天下り」も含まれています。
それでもなお、フランス、イギリス、アメリカ、ドイツのそれよりも少ないのです。
なお、今回のコロナ・パンデミックにより、職員の少なさ(小さな政府)が必ずしも国民利益にはならないことが明らかとなりました。
例えば私の地元でも、時間短縮要請を受けた飲食店が神奈川県に「協力金」を申請しても、神奈川県庁の職員だけでは業務を完結することができず、申請受付から振込業務までを民間事業者に委託しています。
ですが、それでも膨大な事務量をこなしきれていません。
昨日(4月20日)から、再び時短要請が発令され第9弾となる「協力金」申請がはじまりましたが、未だ第三弾の協力金すら振り込まれていない業者がおられる始末です。
実は川崎市も前市長時代の行政改革により3000人規模で職員を削減しましたが、今では職員一人あたりの仕事量が膨らむばかりで、とてもとても「効率的な行政」は言える状況などではありません。
今や役所こそが「ブラック化」している時代です。
このままでは将来、少子化のスピード以上に、どこの地域でも公務員のなり手が少なくなるのではないでしょうか。
一昨年の台風19号の際にも、千葉県庁では災害対応どころか現状把握さえままならなかったと仄聞しています。
「小さな政府」は、危機に際して国民を済うことのできない「弱い政府」でしかありません。
それなのに某政党は「もっと小さくしろ!」と言う。
彼ら彼女らのおぞましいところは、現場が直面している状況や統計的事実を一切無視し、ただただ自分たちの「票」を獲得する手段として国民の「公務員ルサンチマン」を煽っている点です。
何度でも言おう。
小さな政府は国民を済わない。
「身を切る改革」と言うけれど、切られるのは国民生活です。