余の辞書に公債発行という文字はない

余の辞書に公債発行という文字はない

「余の辞書に、不可能という文字はない」

これは、ナポレオン・ボナパルトの言葉(ナポレオンが副官に宛てた手紙の一節)として有名です。

ナポレオンは平素から「不可能という文字は愚か者の辞書にのみ存在する」とか、「不可能は小心者の幻影、卑怯者の避難所」とか言っていたらしいので、彼は常に自信に満ちあふれた人だったのでしょう。

そんなナポレオンでしたが、ロシア遠征の失敗、ワーテルローでの敗北により失脚することになります。

ナポレオン軍の強さについては、国民軍の形成、ナポレオン個人の軍事的天才性、行軍速度の速さなど様々ですが、ナポレオンが敗北した理由についても様々な研究がなされているところです。

例えば、ナポレオン軍のようにリーダー個人の能力に大きく依存した組織は、一定の規模を超えてしまうと命令伝達に支障をきたし、たちまちに機能低下を起こしてしまうなどの研究もあります。

一方、軍事面でのナポレオン研究は大いに盛んであるようですが、経済財政面でのナポレオン研究はどうなっているのでしょうか。

ナポレオンが敗北した理由の一つに、ナポレオンの間違った財政観があったと思われます。

実はナポレオンは、借金を悪とする収支均衡主義者でした。

一方、ナポレオン戦争のみならず、オランダとの覇権戦争にも勝ち抜いたイギリスは、それとはまったく逆の「金融革命」を起こしていました。

イギリスは度重なる戦争のなか大量に国債を発行していったため、その国債を取引するための金融市場が発達(金融革命)したのです。

因みに、この金融革命が産業革命を準備したことは言うまでもありません。

例えばイギリスは、1798年には3600万ポンドだった公債発行額を、ワーテルローで勝利した1815年には8万ポンドにまで公債発行額を増やしています。

それに対してナポレオンは、イングランド銀行が保有する金(ゴールド)を枯渇させるために、金をフランス国内に流入させる政策をとりました。

結果、イングランド銀行の保有する金が枯渇します。

当時は金本位制でしたので、イギリスは保有する金以上の公債を発行することができませんでした。

やむを得ずイギリスは、1797年に銀行制限法を制定し金本位から離脱します。

すなわち、イングランド銀行券と金の兌換を1821年まで停止し、保有する金の量に関係なくイングランド銀行券(公債)発行を拡大していったのです。

これによってイギリスは1790年から1815年までの間、年率2.25%の経済成長を実現し、経済的基盤が強化されたことでナポレオン戦争に勝利するのです。

残念ながらナポレオンは、公債の発行を不道徳とみなし、赤字財政も不換紙幣の発行も拒絶しています。

そのため、戦費調達のための侵略を繰り返して疲弊していったのです。

彼は「おカネ(金=ゴールド)は、どこかから持って来なければならない」と考えていたからです。

その後、イギリスは1760年から1860年の百年間、累積政府債務が国民総生産の100%を下回ることが在りませんでした。

19世紀前半には、ついに300%にまで達しましたが、一度も財政破綻することなく、逆に大英帝国の最盛期を謳歌したのでございます。

公債発行により覇権国となったイギリス、そして公債発行を悪とみなして敗北したナポレオンの事例は、財政観の間違いが国策を誤ることの典型です。

ナポレオンの辞書には「公債発行」という文字もなかったようです。