「日本は公務員や天下りが多すぎるぅ〜」という、いわゆる公務員ルサンチマンは未だ根強い。
こうした公務員ルサンチマンを煽って党勢を拡大してきた政党もあり、多くの自治体の首長もまた世の公務員ルサンチマンに応えるかたちで「行政改革」の名のもとに職員数の削減に専念してきました。
川崎市も例外ではありません。
そもそも「多い」とか「少ない」とかを指摘する場合、本来であれば「何に比べて…」多いのか少ないのかを明確にしなければならないと思うのですが、公務員ルサンチマンはイメージ先行で「多い!」と断罪します。
しかしながら上のグラフのとおり、客観的な基準(OECD基準)で諸外国と比較をしてみますと、日本の公務員数は必ずしも多いとはいえません。
むしろ、少ない方の部類です。
ちなみに、上のグラフの数値には、いわゆる「公的機関への天下り」も含まれています。
昨今、川崎市などは、行革(職員の減らしすぎ)による弊害がいたるところに表れています。
例えば、マンパワーが足りないことが要因となって業務が停滞したり、事務ミスが発生したりしています。
むろん、それによって被害を受けているのは日本国民たる川崎市の住民です。
おそらくは他の自治体でも同様のことが起きているのではないでしょうか。
1990年代後半以降の日本においては、公務員の給与が高いというより、民間部門の給与が上がっていないことが大問題です。
私が大学生時代であったのは1890〜1992年ですが、友人で公務員に就職したのは教員以外に一人もいませんでした。
所属学部が文学部(日本文学科)であったこともあって、国語の教員免許を取得する友人が多かったので教師になった人がいるのは当然なのですが、私のクラスは男女を含め50人ぐらいの学生がいましたが、それでも私の周りで教員(公務員)になったのは2〜3人ほどでした。
あとはすべて、私もそうですが民間企業に就職しています。
当時は「公務員なんて安月給だからやめたほうがいい」と進言されたほどです。
公務員の給与が高いとして叩かれ出したのは、1998年に日本経済がデフレに突入して民間企業の給与(実質賃金)が上がらなくなってからのことです。
すなわち、公務員給与が高いのでなく民間企業の給与が安すぎたわけで、とくにメディや政治家が「公務員ルサンチマン」を煽るようになったのはデフレ以降のことです。
そもそも国家公務員にしても、地方公務員にしても「特別な職業」ではありません。
公務員は世襲制ではありませんし、中国のように共産党の党員限定の職業でもありません。
民主主義国家である我が国において、官僚とは「単なる一職業」にすぎず、試験にさえ受かれば、日本国民であれば誰でも就くことができます。
むろん、年齢制限がありますが。
残念ながら今なお、公務員ルサンチマンに基づき「公務員や天下りを減らせば、もっと財政が良くなるのではないか…」と言う人さえおられます。
しかしながら、行政が歳出を拡大しないこと、行政が黒字化を目指していること自体がデフレを深刻化させ、実質賃金を引き下げていることを理解してほしいものです。
MMT(現代貨幣理論)を構築したL・ランダル・レイは、「赤字財政こそが正常な状態である」と結論づけています。
レイは、政府が政策的に財政赤字の削減を目指すことは望ましくないだけではなく、ほとんど不可能であるとさえ言っています。
なるほど、誰かの赤字は必ず誰かの黒字なのですから当然です。
つまり、以下のとおり…
国内民間部門の収支 + 国内政府部門の収支 + 海外部門の収支(資本収支) = 0
…という等式が成立します。
地方行政は、いわば政府の子会社であるわけですから、一般政府(中央政府+地方政府)という考え方に立てば、地方自治体もまた「赤字財政こそが正常な状態である」と言っても差し支えないはずです。
何度でも言います。
財政が健全化(黒字化)するから景気が良くなるわけでもなければ、国民が豊かになるわけでもありません。
政府部門の収支の健全化(黒字化)は、民間部門の収支の不健全化(赤字化)によって実現するものです。
これは歴然たる事実なのでございます。