経済成長の源泉は、生産性の向上にあります。
生産性とは、一人あたりの財貨(モノやサービス)生産量のことです。
18世紀後半の産業革命以降、働き手の数に限界があっても生産資産の整備、あるいは技術革新によって一人あたりの財貨生産量を飛躍的に増やすことが可能となりました。
そこで重要となるのが弛まぬ投資、とりわけ技術開発投資です。
投資には、技術開発投資のほか公共投資、民間設備投資、人材投資がありますが、投資効果が発現するまでにもっとも時間を要するのが技術開発投資です。
というより、技術開発投資は成果がでればまだ良いほうで、まったく成果があがらないことのほうが多い。
それでも執拗にチャレンジし続けなければならない「投資」なのでございます。
技術開発投資の根幹である研究開発を怠れば、技術面のみならず経済面においても軍事面においても国家として比較優位に立つことは困難です。
ゆえに官民ともに研究開発への支出を惜しんではならないわけです。
そこで、研究開発費への日本政府の負担比率をみると、冒頭のグラフのとおり1995年をピークに残念ながら減退傾向にあります。
リーマンショック以降、企業の売上高の回復が遅れたことから研究開発費の伸びも低迷したと言われてきましたが、政府の負担比率はそれ以前、1995年から低迷しはじめています。
1995年といえば村山内閣の御代で、ときの大蔵大臣(武村正義)が日本の「財政危機」を宣言した年です。
そこから、いわゆる緊縮財政がはじまって消費税が増税(3%→5%)され、ついに1997年から我が国はデフレ経済に突入することになりました。
加えて1990年代からグローバリゼーションの名のもとに「構造改革」が進められ、即ち株主資本主義化の流れが進み、とりわけ上場企業は四半期利益を重視するようになました。
人件費、設備投資、研究開発(特に中長期)を容赦なくカットするなどして株主利益の最大化に邁進したのです。
なお、上場企業によるライバル企業及び新興企業のM&A(合併・買収)が加速したことで、上位企業による寡占化が進みました。
寡占化とデフレ化は、市場競争のダイナミズムを低下させるとともに企業の研究開発費を伸び悩まさせ、ついには技術革新のペースをも鈍らせています。
繰り返しますが、技術革新の低迷は経済成長を制約する大きな要因となります。
むろん日本は、政府による研究開発への負担費比率が低迷しているだけでなく、企業による研究開発費の伸び率もまた諸外国と比べ低迷しています。
とくに中国との差は開く一方です。
その意味で日本は既に「技術立国」ではありません。
我が国の為政者たちは、借金の多さよりも投資の少なさを嘆くべきです。