東京裁判の費用

東京裁判の費用

GHQによる占領統治時代の昭和21年4月29日、東條英機元首相以下28名の政界および軍部の要人が起訴され、同年5月3日から裁判がはじまりました。

いわゆる「東京裁判」(正式名称:極東国際軍事裁判)です。

東京裁判は、日本政府及び軍部が昭和3年以降に行った行為の全てを裁く、という実に強引かつ狡猾な裁判でした。

当初、GHQは「ナチスを裁いたニュルンベルク裁判は半年で片付いたから、日本も同じように…」という目論みでしたが、残念ながら裁判は2年半もの月日を要しました。

その2年半の間、400名を超える人々が証言台に立ち、4,000以上の証拠書類が法廷によって受理されたものの、ナチスが行ったような戦争犯罪は見つからず、それを示す証拠もなかったからです。

結局、それでも強引に昭和3年以降の日本が行った行為はすべて侵略戦争だったことにされ、それを指導したとされる被告たちには全員有罪の判決が下りました。

なかでも絞首刑を宣告された7名をみますと、元首相の広田弘毅を除いて6名は全て陸軍の軍人でした。

あれ? 対米戦争の発端となった真珠湾攻撃を計画し遂行したのは海軍ではなかったでしたっけ。

その海軍からは一人も絞首刑が出ていないという実に不可解でデタラメな裁判でした。

独立を回復して72年を経た今もなお、この東京裁判史観が我が国を拘束する根深い桎梏となっていますが、東京裁判にかかった費用はすべて日本政府持ちでした。

その金額は、当時のおカネで27億円。

さて、当時の27億円を現在の通貨価値に換算すると、どのくらいになりましょうか。

まず、日銀の資料によれば、昭和20(1945)年から昭和25(1950)年にかけてのインフレ率は約17倍。

そして昭和25(1950)年から令和5(2023)年にかけての消費者物価指数をみますと、その差は8.9倍ですので、昭和20年の1,000円は令和5年においては151,300円の貨幣価値に相当します。

よって、当時の27億円を現在の貨幣価値に換算すると、3,500〜4,000億円ぐらいになるのではないでしょうか。

それだけではありません。

東京裁判以外の占領経費についても日本持ちでした。

例えば、米軍が占領統治するにあたり必要とした建物や兵舎や住まいも日本政府持ちで、それらの整備は全て日本政府の公共投資として行われました。

占領中の昭和21(1946)年の我が国の公共投資額は、なんと戦時中だった昭和19(1944)年の8倍以上に及んでいます。

現在の日本政府の公共投資額が7兆円ぐらいですから、それが56兆円にまで膨らんだという話です。

さて、敗戦直後で国内の供給能力はことごとく破壊されていたなかで、東京裁判や公共事業の財源はどこから生み出されたのでしょうか。

むろん、国民から税金を徴収して全てを賄ったわけでもないし、日本政府が金や銀などを隠し持っていたわけでもありません。

主たる財源は信用創造だったと思います。

自国通貨建てで貨幣を発行できる政府は、無から財源を創造できる存在なのでございます。

ちなみに日本政府は、戦前、戦中、戦後、そして現在においてもなお、債務不履行(デフォルト)、すなわち財政破綻に陥ったことはありません。

財源を理由にして国民の必要とするインフラを整備しないことの愚かさが、実によくお解り頂けるのではないでしょうか。