国や地方自治体の予算は4月(新年度)から執行されますが、はやくも6月から7月にかけて来年度(2025年度)の予算編成作業がはじまります。
今まさに、国では各省庁が8月下旬ごろの「概算要求」に向け、政策や事業の継続または見直しなどの検討や立案を行い、重要施策に必要となる経費を見積もるなどの作業を行っています。
各省庁が「概算要求」を提出する先は、むろん財務省です。
9月ごろになると財務省は各省庁とのヒアリング、説明、調整などを行い、12月下旬に財務省原案を各省庁に示します。
その後、大臣折衝等が行われるなどして多少は修正されることもあるのでしょうが、概ね財務省原案のとおり閣議決定され、政府案として翌年1月からはじまる通常国会に提出されます。
因みに、財務省(主計局)が各省庁からヒアリングする際、査定する側の財務官僚は課長級ですが、お願いする立場の各省庁は部長や局長級が出て行きます。
要求した予算が査定で外されぬよう、各省庁の局長級は財務省の課長級に深々と頭を下げなければならないわけです。
こうしたところでも、財務省の力が他の省庁に比べていかに大きいのかがわかります。
日本国憲法(占領憲法)第73条は、予算を作成して国会に提出する責務を内閣に負わせていますが、編成された予算は内閣案というより財務省案なのです。
しかも、国会に提出された政府案(財務省案)は衆参両院で審議されたのち多数決を経て成立しますが、ご承知のとおり国会審議の過程で政府案が修正されることなどほぼありませんので、原案のまま成立することがほとんどです。
むろん、財務省は憲法に反することをしているわけではありません。
また、政府案が原案のまま国会を通過しているのも、国民から選挙で選ばれた国会議員たちが行っていることですので法的に問題があるわけでもありません。
もしも国民経済のためにならない予算が毎年成立しているのであれば、それは審議している国会議員、もしくはそんな国会議員たちを選んでいる国民のほうが悪い、と言われても仕方ありません。
日本国憲法(73条)が内閣に予算編成権を付しているのは、国民が国会議員を選び、その国会議員が内閣を選んでいるわけだから財政民主主義は担保されているでしょ、という考え方からきているのだと推察します。
しかしながら前述のとおり、各省庁から提示された概算要求は財務省の主計局が査定し、事実上、財務省原案という形で予算編成されています。
たしかに概算要求の過程で、政治家(大臣ほか与党議員たち)の意見や要望が反映されていないこともないのでしょうが、結局はそれを査定するのは財務省官僚です。
すなわち現在の我が国においては、「財務省の、財務省による、財務省のための」予算になってしまっているのが実状です。
一部の国会議員の中には「財務省から財務主権を取り戻そう…」という動きもあるようですが、これまでのところほぼ奏功していません。