ブルーインパルス

ブルーインパルス

ことし、川崎市は市制100周年を迎えました。

それを記念して6月29日、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」の展示飛行が行われました。

埼玉県の入間基地を離陸した6機の飛行機が、午後2時20分ごろから約20分間、本市の等々力緑地を中心に見事な飛行を披露してくれました。

多摩川の河川敷には多くの市民や航空ファンが集まり、ブルーインパルスが白色のスモークでラインを引きながら上空を通過すると大きな歓声があがったとのことです。

まさに100周年を記念する相応しい展示飛行だったと思います。

さて、実は二カ月ぐらい前、とある小さな市民団体から私の元に1通の手紙が届きました。

内容は「ブルーインパルスの展示飛行に反対する!」というものでした。

反対理由は「戦闘機は戦争のための道具だから…」とのこと。

もっとも市議会議員の私に展示飛行を止めさせる権限などないので、どうにもできないことなのですが…

それにつけても、こうした反対意見は戦後日本における象徴的な誤解です。

自衛隊は戦争のために存在しているのではありません。

おそらくは自衛隊法をまじめに読んだこともないのでしょうが、自衛隊は「我が国の独立と平和を守るため」に存在しています。(自衛隊法第3条)

1957年閣議決定の『国防の基本方針』にも、「国防の目的は 〜中略〜 我が国の独立と平和を守ることにある」と書いてあります。

とりわけ、自称・平和活動家たちの大きな間違いは「武器を失くせば平和になる」と思い込んでいる点です。

今から30年前にルワンダで悲劇的なジェノサイドが行われ、80〜100万人が犠牲となりましたが、このほとんどは明らかに棍棒で命を奪われています。

ミサイルでも戦闘機でもなく、棍棒です。

残念ながら武器を失くしても平和は保障されないのが現実です。

平和とは秩序ある状態のことですが、その秩序を保つには当然のことながら「力」が必要となります。

マックス・ヴェーバーは、国家というものを「一定の領域の内部で正統な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体」と定義しています。

むろん秩序が維持されているだけではダメで、そこに独立(個人の自由)が担保されていなければなりません。

独立が担保されていなければ、それは「奴隷の平和」です。

であるからこそ、自衛隊の任務は我が国の「独立」と「平和」を守ることにあるわけです。

因みに「戦争の道具がけしからない…」と言うのであれば、その人は電子レンジ、ティッシュペーパー、サランラップ、インターネット、スマホ、これらの使用を控えるべきです。

これらはすべて軍事技術の民生転用です。

真に平和を望むならば、まずは安全保障を理解しなければなりません。