私の住む川崎市北部は、東京都町田市に隣接しています。
ゆえに、川崎市北部を貫く小田急線の鶴川駅を下車すれば、そこはもう町田市です。
その鶴川駅から徒歩で15分程度の場所に、「GHQが最も恐れた男!?」と言われた白洲次郎の旧邸宅があるのをご存知でしょうか。
その名は、武相荘。
武蔵の国と相模の国の境に建てた邸宅だから「武相荘」なのだとか。
2001年以降、「旧白洲邸 武相荘」として開館し、一般公開されています。
2015年には、竹林を通り抜ける散策路やレストラン&カフェが新たに整備されリニューアルオープンしています。
その際、私も一度だけ足を運んだことがあります。
館内には様々な資料が展示されていました。
白洲は「これから戦争になる。そうすれば食料がなくなるから、田舎に引っ越して農業をやろう」と妻に言っていたらしく、それでこの地を選び、古民家を買い取り武相荘を建て引っ越してきたようです。
さらに先見の明に優れた白洲は「必ず日本が負けるから。負けるとますます食料がなくなる」とも言っていたというから凄い。
白洲の予言は的中し、日本は敗戦。
配給もままならない中、人々は闇市に駆け込むようになったのです。
戦争勝利を信じて疑わぬ風潮に酔いしれていた戦前戦中の日本の中で、白洲だけは未来を予見し先手を打っていたわけです。
ただ、「先見の明があった…」などと言われる白洲次郎ですが、彼に纏わる様々な伝説には不可解な点も多い。
そもそも、戦中は大国アメリカとの戦争を遂行するために使えるものは全て使わなければならない状況にあり、燃料、物資、食糧等々、何より兵力までもが国家のために総動員されていた時代です。
現に戦時中は20歳に達した成人男子は全員徴兵検査を受けることが義務付けられ、終戦間際には「学徒出陣」として若き学生をも出兵させねばならない状況に陥っていったのでございます。
そんな中、どうして白洲は田舎でぬくぬくと農業に励むことができたのですか?
彼は実業家の息子として育てられたため、むろん農業の経験などは乏しく、兵役を免除される大義もない。
ましてや、彼は175cmという当時としては実に恵まれた体格をもつ40前後の立派な成年男子でした。
当時の平均身長は、155〜160cm程度です。
そんな男が、兵力不足の日本で、なぜ徴兵されずに済んだのでしょうか。
一方、GHQによる占領統治が終わると、なぜか「白洲伝説」なるものが現れます。
その伝説とは、「白洲次郎こそは、GHQが恐れた唯一の日本人」というものです。
とはいえ、不思議にもGHQが日本を去った後に語られた伝説なのです。
例えば、次のようなエピソードがあります。
吉田茂がサンフランシスコ講和条約の締結にあたり演説する際、日本語でスピーチしました。
これは白洲次郎が「米国や国際社会に媚びて英語でやるのはよくない。ここは主権国家として母国語(日本語)で行うべきだ…」という趣旨のことを吉田茂に進言したとされています。
ところが、事実は全く異なる。
米国側から「吉田、おめえの英語は下手クソで聞き取りずれえから日本語でやれや…」と言われただけらしい。
こういう話が、なぜか白洲伝説に摩り替わっていくわけです。
皆様も一度は、ぜひ武相荘に足を運ばれてみてください。
捏造された伝説…という視点で見学すると、それはそれでまた面白いです。