東京都知事選挙

東京都知事選挙

いよいよ東京都知事選挙がはじまります。

スケジュール的には、明後日の6月20日に告示され、約半月の選挙期間を経て来月の7月7日に投開票ということになります。

今のメディアの報道の仕方のままいけば、実質的な選挙戦は現職の小池都知事と参院議員を辞して挑戦する蓮舫氏の一騎打ちになりそうです。

残念ながら、選挙戦を支配する空気は有権者である都民が主体的につくるのではなく、実質的にはメディアがつくってしまうことがしばしばです。

とくに都知事選や国政選挙などの大きな選挙についてはそうで、民主主義と言いながらも、結局はメディアが主導する世論なるものが醸成され、その醸成された空気に縛られつつ各有権者は投票所に向かうのです。

小泉郵政選挙もそうですし、民主党の政権交代選挙もそうです。

いわば「虚構の民意…」と言っては言い過ぎでしょうか。

因みに、スペインの偉大なる哲学者オルテガをはじめ、デンマークの哲学者セーレン・キルケゴール、プロイセン王国出身の哲学者ニーチェ、ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー、フランスの心理学者ギュスターヴ・ル・ボン、イギリスの政治哲学者マイケル・オークショット、ドイツ出身の哲学者ハンナ・アーレント、彼ら彼女らは皆、同様の趣旨のことを言っています。

とはいえ、それにつけても気に食わぬのは、現職の小池氏にしても、挑戦者たる蓮舫氏にしても、今日になってようやく公約を発表するということについてです。

あまりにも有権者を舐め過ぎではないか。

現職として引き続き立候補する者にしても、新たな挑戦者として立候補する者にしても、まじめに東京都政のことを考えているのであれば、もっと早くに提示することができたはずです。

というより、提示すべきです。

昨今の政界では、いかにも「後出しジャンケン」的な発想で、相手の出方を伺って政治的な駆け引きをする傾向が顕著です。

そこには「どうせ多くの有権者は公約なんてまともに見ないであろう」という傲慢ささえ感じます。

今回の都知事選では、50人ほどの候補者が名乗りを上げそうです。

街角に設置される公営掲示板のポスター枠が不足する可能性もでているらしい。

ただ、悲しいかな各候補者が言うことは概ね決まっています。

それは「抜本的改革」「思い切った改革」「暮らしを守る改革」の類です。

いずれも現状を「既得権益」として設定し、「これを破壊できるのは私しかいない…」というレトリックです。

しかしながら、歴史をみても、現在をみても、抜本的改革なるものが成功した事例は一つもありません。

あたりまえです。

人の世は常に、政治的にも経済的にも社会的にも複雑にして細微かつ精妙な問題を抱えています。

それを人間の理性ごときで解決しようとすることなど大いなる傲慢です。

であるからこそ、政治行政における改革は「漸進的」でなければならないのでございます。

残念ながら、今回の都知事選においてもそんな候補者は現れないでしょう。