金(ゴールド)の値段が1グラム1万円を超えています。
コロナ・パンデミック、ロシア・ウクライナ戦争、米国のシリコンバレー銀行の破綻、イスラエルとハマスの紛争などなど、世界情勢が不安定化するにつれゴールドの価格が上昇し続けています。
まさに「有事の金(ゴールド)」です。
MMT(現代貨幣理論)によれば、紙幣は国家が発行する「特殊な負債」であり金銀など貴金属の裏付けを必要としないわけですが、それでも今なお人々は世界情勢が不安定化すればするほどに金(ゴールド)を確保しようとするわけですね。
金(ゴールド)の世界について私は詳しくありませんが、例えばプラチナなどに比べ金(ゴールド)の価格は乱高下しないらしい。
また、銀で資産を蓄えようとすると、金(ゴールド)よりもより大きな蔵を用意しなければならないなど、様々な理由があって銀やプラチナよりも金(ゴールド)のほうが好まれるようです。
あるいは、いま流行りのビットコインなどの仮想通貨は価格が乱高下しますし、自然災害などで電気が使えなくなれば決済ができませんので、仮想通貨は現物資産である金(ゴールド)には勝てないでしょう。
かつて日本は、大量の金銀を産出していました。
「黄金の国・ジパング」と言われていたのは周知のとおりで、奈良時代、東大寺の盧遮那仏は金色に輝いていたほどです。
銀の産出は17世紀初頭が最盛期で、世界の生産量のおよそ3分の1から4分の1を占めていたという。
明治以降、国内の金銀は驚くような勢いで海外へ流出していきました。
例えば、金については次のような話があります。
我が国の明治維新は、実はイギリスの後ろ盾によって成されました。
ご承知のとおり、当時のイギリスは金本位制の国で、まさに金(ゴールド)こそがおカネそのものでした。
めでたく維新が成就して新政府が発足した際、日本の通貨システムは英国やHSBCなどの英国資本らの助言と指導によって確立されました。
まず、大阪に造幣局をつくらされ、イギリス商人であるグラバー商会から鋳造機を買わされました。
そこで「二十円金貨」をつくるように言われます。
二十円金貨の重さは、なんと31.3グラムです。
1オンスは31.1グラムですから、ちょうど二十円金≒1オンスにされたわけです。
そのうえで、「次は日本中の金(ゴールド)をかき集めろ」と言われ、血眼になってかき集めた金(ゴールド)が12万トン。
これをグラバーから買わされた鋳造機により、31.3グラムの金貨(二十円金貨)にします。
残念ながら、その後、12万トン分の金貨(二十円金貨)が国内で流通することはありませんでした。
それらは悉く横浜正金銀行を通じ貿易の決済通貨として主としてイギリスに流出したのです。
なぜ、流出し続ける二十円金貨を当時の造幣局はひたすら鋳造し続けたのでしょうか。
はなはだ疑問に思うところですが、その疑問は造幣局の創業150年誌を見てすぐに解消されました。
造幣局が設置されてから最初の20年間、造幣局の長官には、幕末、イギリスに留学した、いわゆる「長州ファイブ」の5人が代わる代わる就任していたのでございます。
おまえたち、それほどにイギリス様に恩義があったのか…
戦後日本の政治家たちが「日本を米国の51番目の州にした〜い」と願ってきたように、明治日本の政治家たちは「日本をアジアの英国にした〜い」と願ってやまなかったようです。
東京駅の駅舎、日銀の建物、横浜の赤レンガ倉庫、これらすべてはイギリス式建築ですし、鹿鳴館をつくって仮面舞踏会を行ったのもイギリスの上流階級の猿真似です。
あるいは倒幕の際、薩長軍が笛や太鼓を叩きながら進軍したのもスコットランド兵の音楽隊を真似したからです。
現在のイギリス大使館が皇居を見下ろせる一等地にあるのもまた、その名残です。