室町以降、我が国における指導者の責任の取り方は「切腹」でした。
ちなみに、聖徳太子以来、我が国の天皇陛下は権威の象徴であって俗世の指導者ではありません。
源平以降、武士が天皇に変わって世俗の政治を担うようになり、やがて室町時代初期には武士の切腹という風習が一般的になっていったとされています。
その後、切腹は武威を誇示する勇気ある行為として武家社会に根づき、武士にとってふさわしい自害の方法として定着していったのでしょう。
しかしながら、明治以降、失政を招いた指導者たちが責任をとって切腹することがなくなりました。
例えば、あの大東亜戦争の敗北でも、責任をとって切腹したのは阿南陸軍大臣ほか数名で、多くの指導者らは腹を切っていません。
いわゆるA級戦犯を裁くために開廷された東京裁判では起訴された被告のうち7人が絞首刑となり、海外においてはいわゆるBC級戦犯が裁かれ多くの日本軍関係者が死刑となっていますが、あくまでも彼らは敵に殺されたのであって責任をとって死んだのではありません。
ただ、絞首刑となったいわゆる7人のA級戦犯はいったい何の罪で裁かれたのかをご存知でしょうか。
それは、A級戦犯とされる被告たちが昭和3年から侵略戦争を計画し、共同謀議し、それを実行した罪、いわゆる「平和の罪」です。
もう一つの罪は、無辜の一般人を大量に殺戮した「人道の罪」です。
これらの罪はいずれも事後法であり、しかも被告らが昭和3年から結託して侵略戦争を共同謀議した事実もなければ、無辜の一般人の大量殺戮を計画して実行した事実もありません。
むしろ、広島、長崎に原爆を落とし、東京に暮らす10万人以上の無辜の市民を130万発の焼夷弾で殺戮したのは米国のほうです。
その点、東京裁判ほど、むちゃくちゃな裁判はありませんでした。
海外で開廷されたBC級裁判も同様に、その多くが冤罪です。
なかには、食糧難にあった戦地において、英蘭兵捕虜に対してゴボウのお味噌汁を出しただけなのに、「捕虜に木の根っこを食べさせた」と言いがかりをつけられ、捕虜虐待認定され死刑になった日本兵もいます。
すなわち、東京裁判もBC級裁判も米国及び連合国らの私的リンチだったのです。
むろん、東條さんも述べておられるように、東京裁判で東條さんらが「無罪」を主張したのは、戦勝国が言うような罪は犯していない、ということであって、戦争を回避できず無惨な敗戦というかたちで日本国民を悲嘆の苦しみに追い込んでしまった政治家としての責任、軍人としての責任は我にありとしています。
その罪は死んでも償いきれないと反省の念を示されています。
一方、東條内閣が戦争を回避するための努力を重ねているなか、明らかに開戦を鼓舞していた者たちがいたのは事実です。
それは陸軍や海軍だけではなく、文官もいましたし、民間政治家にもいましたし、財閥にもいました。
とくに大手財閥にとっては戦争は金を儲ける最大のチャンスで、それら財閥の息のかかった政治家、役人、民間団体もまた開戦を煽りました。
そして彼らの望みは叶ってついに開戦となりましたが、そのためにどれだけの日本国民の命を犠牲にしたと思っているのか。
許せないのは、この種の人たちは何の責任もとっていないことです。
我が国のいけないところは、立場ある者が何の責任もとらず、常にその被害だけをただただ国民が被ってきたことです。
それは現代においても変わっていません。
度重なる消費税増税がこれほどに経済を疲弊させているのに、誰も責任をとらない。
あるいは、在りもしない財政破綻論をでっちあげ行われている緊縮財政が、これほどに日本を発展途上国化させ、実質賃金を押し下げているにもかかわらず、誰も責任をとらない。
川崎市は行政として「外国人地方参政権」の実現にむけて国に働きかけていくとのことですが、それがもたらすであろう社会混乱など何も考えていないに違いない。
自由民主主義は、共通の歴史、共通の文化、共通の価値観をもつもの同士で行われるからこそ成立するという現実を無視し、「共生」だとか「カラーヒューチャー」だとか空想的な理想論や抽象語を振りかざせば世を治めることができるとでも思い込んでいるのでしょう。
治まるわけがない。
そんな失敗を犯しても、市長や局長がその責任をとることはきっとないでしょう。