竹島の日

竹島の日

きょう2月22日は、島根県が条例で定めている「竹島の日」です。

この日を「竹島の日」としたのは、明治38(1905) 年1月28日に日本政府が正式に「竹島」と命名し、我が国の領土として閣議決定したことを受け、島根県が告示した日に当たるからです。

島根県は毎年、2月22日に松江市で式典を開き、竹島が我が国固有の領土であることを改めて訴え、現状の解決を日本政府に対して強く求めています。

言うまでもなく当該問題は島根県だけの問題ではなく、私たち全日本国民にとっての問題です。

さて、竹島が、国際法を無視した韓国に一方的に強奪されたのは、我が国が独自の外交権や防衛権を有していなかったGHQ占領時代のことです。

GHQが暫定的措置として引いた線(マッカーサーライン)では竹島は韓国側にあったのですが、サンフランシスコ講和条約では日本領となることに決まっていました。

そのため、韓国は講和条約が成立する直前に、国際法を蹂躙して強引に「李承晩ライン」なるものを設定し「その線の内側については全ての権利を持つ…」と主張、竹島を韓国領として強奪してしまったのです。

彼の国ではこれを「李承晩ライン」とは言わず「平和線」などと言っています。

前述のとおり、マッカーサーラインは、あくまでも暫定的な措置、すなわち「暫定線」です。

国際法を蹂躙した「李承晩ライン」を日本が認めるわけもなく、勇気ある日本の漁師たちは李承晩ラインを超えて漁に出たわけですが、そうした日本の漁師たちに容赦なく韓国は銃撃したり、不法に拿捕して釜山に抑留したりしました。

昭和40(1965)年に日韓漁業協定が締結されるまで、拿捕された船は328隻、抑留された船員は3,939人に及びました。

日本政府は、抑留された日本人を返してもらうために在日韓国人の犯罪者(472人)を仮釈放し、なおかつ「在留特別許可」を与えました。

要するに、韓国は国際法上認められていない「李承晩ライン」を利用して日本の船員を拘束(拉致!?)し、その船員を国交正常化交渉での交渉カードに使ったわけです。

そういえば、北朝鮮が拉致被害者を日本に返す際にも日本政府から様々な譲歩を引き出そうとしますが、それと何が違うのでしょうか。

日韓基本条約において「竹島問題」は紛争処理事項として棚上げされたのですが、韓国は竹島に灯台、見張場、ヘリポートを建設し、あまつさえ警備隊を常駐させるなどして不法占拠を続けています。

「不法に奪っても返さなかったら自分のモノになる…」という論理です。

お互いが領有権を主張している以上、国際司法裁判所で争うことが望ましいのですが、韓国側はそうした平和的解決を頑なに拒否して、国際司法裁判所には出てきません。

国際司法裁判所で争われると、李承晩ラインが国際法上不法であったことが国際的に認知され、そして不法な李承晩ラインによって日本人を銃撃し、拿捕し、抑留したことが世界に知れ渡ることになるからでしょう。

よって我が国は、「尖閣諸島」で中国にされていることと同じことを「竹島」で行い、「竹島」で韓国にされていることと同じことを「尖閣諸島」で行わねばならない。

むろん、韓国とは異なり、尖閣諸島は我が国が不法に占拠しているわけではありませんが。