きのう(11月29日)は、我が国の「憲法記念日」でした。
このように言うと「えっ、憲法記念日って5月3日じゃないの…」と思われる方々がほとんどかもしれません。
5月3日は『日本国憲法』という国辱の占領憲法が施行された日です。
占領憲法は、まるで日本人の手で書かれたかのように発表されるかたちで昭和22年5月3日に施行されましたが、その草案を日本政府に提示したのはGHQ(民政局)です。
GHQ草案を提示した際、GHQ民政局長のホイットニーは次のように言葉を添えています。
「元帥(マッカーサー)は、日本がこの新憲法を受け入れるのなら、天皇に誰も手が出せないよう全力を尽くすでしょう」
受け入れなければ陛下がどうなるかわからないよ、という脅しです。
結果、GHQ草案をGHQの指導のもとに日本語に訳したものが現行憲法です。
戦後、これを憲法だと刷り込まれてしまった日本国民は少なくないので仕方のないことですが、大日本帝国憲法(明治憲法)の改正法として施行されたのが占領憲法であるのなら、「憲法記念日」とは、すなわち大日本帝國憲法が施行された日であるはずです。
せめて議員という肩書がつく者、あるいは選挙で選ばれた行政のトップぐらいは、そのことを認識してほしい。
半独立が叶ったに過ぎない4月28日を「主権回復記念日」とか「独立回復記念日」だと言ってはしゃぐ自称・保守たちも、まずは独立国とは何かを今一度、真剣に考えるべきではないでしょうか。
また、現行憲法(占領憲法)の規程に基づいて憲法改正を求める者たちがいますが、それは我が国の半独立状態を永続化させる国賊行為です。
因みに、中国共産党に拉致された邦人の釈放を求めることもなく、揉み手をしながら「パンダを貸してください…」とChina(シナ)にお願いしに行った与党の代表などは国賊と言われても仕方あるまい。
そもそも、邦人よりもパンダのほうが大事だと思っている国会議員など要らないし、これをまともに批判する国会議員がいないことこそ、わが国が独立国でないことの証左です。
北朝鮮による拉致問題も然りです。
拉致被害者である有本恵子さんの父であられる有本明弘さんは「この憲法(占領憲法)があるかぎり、恵子は戻ってこれない」と言われたそうですが、そのとおりだと思います。
現行憲法(占領憲法)の改正を叫んでいる自称・保守たちのように思考停止状態に陥っていては、我が国の半独立状態は永遠に終わらない。