日本時間の8日、イスラエル軍は、ハマスに対する報復としてパレスチナのガザ地区に激しい空爆を行いました。
報道によれば、イスラエル、パレスチナの双方の死者は合わせて約1,200人にのぼっています。
今なお、ガザ地区から越境したハマスの戦闘員とイスラエル軍との戦闘が続いているようですので、事態のさらなる悪化が懸念されています。
軍事衝突というより、既に事実上の戦争状態に突入しているとみていい。
しかも、ロシア・ウクライナ戦争とは異なり、こちらは誰も止める人がいない「戦争」です。
イスラエルがハマスというイスラム主義抵抗組織のことを和解不能な敵対勢力とみなしてきたことは言うまでもありません。
1987〜1993年の第1次インティファーダにより世俗的なパレスチナ解放機構(PLO)は力を失い、それを機にハマスやパレスチナ・イスラム聖戦のような危険な武装組織が台頭することになりました。
戦時国際法の通用しない武装組織(テロ組織)ほど厄介なものはない。
イツハク・ラビンやシモン・ペレス時代のイスラエルが、PLOのアラファト議長を主役に仕立てて、オスロ和平合意プロセスに着手したのは、政治国際法など通用しないイスラム主義武装集団を脅威とみなしたからだと思います。
しかし残念にも、オスロ和平合意プロセスは成功しませんでした。
もしも成功していたなら、すなわち、イスラエルとアラブ国家の関係正常化が実現していたなら、ハマスは袋小路に追い込まれていたはずです。
第2次インティファーダ(2001〜2004年)では、ハマスはイスラエルの主要都市を対象に自爆テロを決行しています。
このときは、およそ1,000人ものイスラエル人が犠牲になったこともあってか、恐れ慄いたイスラエル市民は最終的にガザ地区からの一方的な撤退案を支持しています。
それでパレスチナ人の怒りがおさまればよかったのですが、残念ながらそうはなりませんでした。
ガザ地区からの撤退以降も、イスラエル南部の都市を標的とする散発的なロケット攻撃が止むことはなかった。
とはいえ、そうしたなかでもイスラエル人は日常生活を送り、ガザのパレスチナの政治的、人道的状況を気にかけることはなかったのかもしれません。
さて、これまでハマスを積極的に支援しているのはイランだ、というのが通説でしたが、ここにきて情勢に変化がでてきました。
まず、ハマスやパレスチナの同胞であるはずのサウジアラビアが、米国の仲介によってイスラエルとの関係正常化をすすめています。
また、ハマスの後ろ盾だったはずのイランまでもが、今度はサウジアラビアや中国の仲介によってイスラエルとの関係正常化をすすめているのです。
したがって、今回、ハマスが過激な行動にでた背景には「中東での孤立化を避けたい…」という思惑があったのではないでしょうか。
米国の外交問題評議会(CFR)のマーティン・インディク氏が、次のように絶妙な例えをしています。
「イスラエル・パレスチナ問題を管理していくのは自転車に乗っているようなものだ。前進するためにペダルを踏まなければ、自転車ごと倒れることになる」
来年の米国大統領選挙を控え、バイデン政権がどこまでペダルを踏み込むかが問われます。
中東情勢(外交問題)についてことのほか疎い日本人には馴染みが薄い問題かもしれませんが、我が国もまた自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのでございます。