来年度予算の編成作業が本格化しています。
8月に締め切られた各府省庁の概算要求の総額は114兆3,852億円となり、この金額が過去最大となったことを例によってメディアが問題視しています。
例えばNHKなどは「様々な予算要求にどう優先順位をつけ、財源をどう確保するのか課題は山積している…」と解説しています。
要するに「いかに無駄を省くのか…」と言いたいのでしょうが、そもそも「予算は増えてはならない」という価値基準はどこからくるのでしょうか。
おそらくは家計簿的発想なのでしょう。
予算が増える = 出費が増える
よって、出費が増えるのなら、その財源(収入)はどこからもってくるのか?
財源(収入)がないなら、支出を減らさねばならない…
というのが、いわゆる「家計簿思考」です。
むろん、家計はそれでいいのですが、国家財政を運営する人たちがこの認識では大いに困るのでございます。
家計簿思考で財政を論じると、必ず「財源は増税」という結論に導かれます。
因みに、増税しなくても、「歳出改革」によって他の何かしらの予算を減らすのであれば、それもまた増税と同様です。
もったいぶらず結論から言いますと、政府の財政支出を制約するものは唯ひとつです。
それは、ヒトやモノといった実物資源の利用可能量(賦存量)です。
すなわち、ヒトやモノといった実物資源の利用可能量(賦存量)に制約されないかぎり、政府の財政支出(通貨発行)に上限はありません。
つまり、こうです。
政府というものは、貨幣を発行(支出)することにより、ヒトやモノを動員しています。
例えば病院が必要な場合には、政府は建設会社や医療従事者に対して支出し、病院を建設します。
こうして、建設労働者や医療従事者というヒト、あるいはコンクリートや医療関連機材、つまりモノが、一つの病院を建設するために動員されるわけです。
しかし、建設労働者や医療従事者の数には限界があり、コンクリートや医療関連機材の量にも限界があります。
そのため、病院をあまり多く造ろうとすると、建設業者や医療従事者などのヒトも、建設資材や医療機器などのモノも供給不足になってしまい、病院建設が不可能となってしまいます。
要するに政府は、カネ(貨幣)など無限に作り出せるのですが、そのカネを使って動かせるヒトやモノの量には限界があるわけです。
カネは信用創造機能によって無から生み出せても、ヒトやモノは無から生み出せません。
それらの賦存量を図る手段が、インフレ率です。
いま我が国は、輸入に頼らざるをえないエネルギーや食料分野においては確かにインフレ率が上昇していますが、その他の分野では相変わらずデフレーションが続いています。
よって今はまだ、財政支出を抑制しなければならない局面にはありません。
人手が不足しつつある分野においては、設備投資や技術開発投資による生産性の向上で凌ぐほかないでしょう。