グローバリズムは、共同体を破壊する。
現に、1980年代以降の英米にはじまり、1990年代以降の日本やヨーロッパでも急速に進められたグローバリズムによって、それぞれの社会に育まれてきた各種の共同体は破壊されていきました。
例えば企業という共同体もその一つです。
もともと企業は「社会の公器」という共同体でした。
そのステークホルダー(利害関係者)は、経営者や顧客のみならず、従業員や従業員の家族、取引先やその家族、地域社会、株主などなど、多くの人たちにとってまさに「公の器」だったのです。
それが、グローバリズムによって企業は株主のモノとされた。
とりわけ、グローバル投資家たちは「企業は四半期ごとに利益を上げて株主に還元せよ…」としました。
そのためには「正規社員を非正規社員に変えてもいい…」「設備投資や技術開発投資を減らしてもいい…」「むろん不採算部門などは切り捨てて売却してしまえ…」と。
これにより、企業は社会の公器ではなくなった。
正規社員から非正規社員に追いやられた若者の多くは、むろん低賃金労働を押し付けられました。
結果、結婚適齢期の若者の多くが、結婚する機会を失っていきました。
なにせ正規社員の婚姻率は6割を超えているのに、非正規社員のそれは2割程度です。
例え2割が結婚できたとしても収入が少ないために、子育てに専念したい女性がパートタイムで働かざるを得ない状況になるのも宜なるかな。
このことは、都市部におけて保育所が不足している要因の一つともなりました。
女性が思うように働くことができない国はもちろん悲惨ですが、働きたくない女性が働かざるを得ない国はもっと悲惨です。
一方、政府の役割を小さくさせるグローバリズムは、当然のことながら政府の予算執行に緊縮財政(財政収支の縮小均衡)を求めます。
このことが、日本経済を25年以上にもわたりデフレ経済に突き落としました。
言うまでもなく、デフレ経済は国民を貧困化させます。
労働者を株主の奴隷と化すグローバリズムの進展により、家族のかたちも変わってしまった。
ご承知のとおり、昭和の高度成長期における「家族のかたち」と、平成・令和のデフレ期におけるそれを比較すれば一目瞭然ですが、いまや一人暮らし世帯数が全体の6割を占めているわけですから、もはや昭和の家族社会は崩壊してしまったと言わざるを得ません。
家族や企業など、様々な共同体の破壊は、むろん社会の破壊を意味します。
さて、財務省は2024年度予算案の編成に向け、各府省庁からの概算要求を8月末に締め切ります。
ご存知でしょうか、7月に岸田内閣は、各府省庁が要求する際のルールを定めた概算要求基準(シーリング)を閣議了解していますが、各府省庁が自由に使える裁量的経費を10%カットするよう求めています。
これをマイナス・シーリングと言います。
相変わらず賃金が上昇しない中でコストプッシュ・インフレが進み、益々もって国民生活は疲弊しています。
政府による歳出拡大が求められているのにもかかわらず、岸田内閣は性懲りもなくマイナス・シーリングを行っているのです。
我が国は、依然としてグローバリズム(ネオリベラリズム)の中にいます。
岸田総理が就任早々に言った「小泉内閣以来のネオリベラリズムからの脱却…」は嘘だったのです。