川崎市は(厳密に言うと川崎市長の福田紀彦氏は)、川崎市を「特別市」にする運動を自治体として展開しています。
特別市とは、川崎市が神奈川県の区域外となる制度であり、川崎市が原則として県の仕事をすべて担い、権限と財源を市に一本化するというものです。(川崎市HPより)
解りやすく言うと、川崎市が神奈川県から独立するのだそうです。
いわば、大阪維新が実現しようとしている「大阪都構想」の逆バージョンですね。
大阪都構想が「大阪市(政令市)は要らない…」という制度であったのに対し、川崎市の言う特別市は「神奈川県(都道府県)が要らない…」というわけです。
逆バージョンとはいえ、めざす方向性や理屈はほとんど同じです。
例えば、大阪維新も福田市長も「(この制度により)二重行政が解消されます…」と主張します。
現に福田市長は、「特別市になることで、二重行政を解消し、神奈川県を通さず国と直接やり取りすることで、素早い対応が可能になる」と言っています。
さて、彼らは執拗に「二重行政=無駄」と主張するわけですが、果たして本当に「二重行政」は住民にとって「無駄なもの!?」なのでしょうか。
その答えは、奇しくも維新政治が教えてくれています。
大阪維新は「二重行政の解消」の掛け声のもとに、医療、福祉、教育への財政支出を削減し、その体制を絶望的なまでに弱体化させたのは記憶に新しいところです。
例えば、地域医療に多大な貢献をしてきた住吉市民病院を廃止し、PCR検査を担うべき府立公衛研と市立環科研を統廃合し、その人員を3分の2にまで削減しました。
上の図のとおり、2019年までの12年間に大阪府下の公務員の病院職員は8,785人から4,360人へと50.4%も削減されてしまったのです。
コロナ医療の最前線で不眠不休の対応にあたっている医療機関の多くが公立病院であることを考えれば、これがどれほどに致命的であったのかがおわかり頂けるものと思います。
現に、川崎市の医療圏でも、コロナ病床の4割以上を公立病院(市立3病院)が提供負担しました。
小泉内閣による構造改革以降、行政区ごとにあった保健所は統廃合され、275万都市の大阪にわずか1か所しか存在しなくなり、維新政治の12年間で大阪府下の衛生行政職員数は12,232人から9,278人への4分の3にまで削減されたのです。
保健所も、医療現場も、検査体制も、維新による新自由主義的「改革」の結果として、コロナ・パンデミックの発生により一層逼迫してしまったのです。
一方、川崎市ですが、本市の病床数は既に法律上の基準病床数を上回っており、行政制度上は過剰病床扱いになっています。
しかしながら、現実の医療需要に対しては、圧倒的に不足しています。
せっかくの市立病院なのに、いざというとき地元住民である川崎市民が入院できず、遠方の療養病床にたらい回しされるケースがしばしばあります。
厚労省が発表している「療養病床の自己完結率」をみると、お隣の横浜市に比べ、川崎市のそれは断然に低い。
自己完結率とは、その地域の住民がその地域の医療圏に入院できる割合のことです。
即ち、横浜市民に比べ、いかに川崎市民が「よその医療圏」に回されているのか、という証左でもあります。
考えてみると、川崎市には公立病院は市立病院しかありませんが、横浜市には市立病院以外にも県立病院があり、国立病院があります。
少なくとも横浜市民は、川崎市民に比べ「3重行政」の恩恵を受けているわけです。
詰まるところ、二重行政の解消を理由にして行政機構を統廃合するという思想は、まさにネオリベラリズム(新自由主義)です。
この30年間の「改革政治」を顧みれば、ネオリベラリズム(新自由主義)がいかに国民生活に弊害をもたらしたかを証明しています。