今日から、神奈川県知事選挙がはじまります。
追って31日からは、川崎市議会議員選挙、神奈川県議会議員選挙がはじまり、4月9日(日)が投票日となります。
選挙のたびにマスコミ等は「今回の選挙戦の争点は…」とやりますが、選挙の争点はマスコミがつくるものではなく、有権者一人ひとりがつくるべきであると思います。
また、とりわけ県知事や市長など、行政のトップ(首長)を選ぶ選挙では、その候補者の政策知性をしっかりと見極めなければならないと思います。
複数人で一つの権力を構成する議会とは異なり、首長には予算の編成権・執行権のほか、人事権など強大な権力が一人の人間に与えられるわけですから。
さて、世は不確実性の時代です。
上のグラフのとおり「世界不確実性指数」をみますと、世界的な不確実性の高まりは2000年に入ってから顕著で、とりわけ新型コロナ流行当初はかつてない水準にまで高まったことがわかります。
世界不確実性指数は、世界の経済的・政策的不確実性を測る四半期ごとの指標です。
新型コロナのパンデミックが勃発した2020年第1四半期には当該指数のピークを記録し、2022年に入りピーク時から約60%は低下しているものの、依然として1996年から2010年までの平均を約50%も上回っていることがわかります。
どうして世界的に不確実性が高まっているのかといえば、むろんグローバリゼーションが終焉したからです。
グローバリゼーションは、その前提として世界の警察官を担う覇権国家の存在が必要です。
1990年以降のグローバリゼーションは、むろん米国という覇権国がつくる世界秩序によって支えられていました。
しかしながら米国は、新自由主義(ネオリベラリズム)による経済政策とイラク戦争によって、経済面でも軍事面でも覇権国としての力を喪失していきました。
であるからこそ、ロシアによるウクライナ侵攻が行われたのです。
もしも米国が覇権国としての力を持ちづづけていたなら、ロシアが今回のようなかたちで軍事力を直接的に行使することはなかったと思われます。
おそらくは、グローバリゼーションはリーマン・ショックの段階で既に終焉していたと理解すべきなのでしょう。
にもかかわらず、川崎市役所では未だに計画書等において「グローバル化の時代にあって…」とか、「グローバルな人材を育て…」などの頓痴気な文言が見られます。
まこと、時代錯誤も甚だしい。
即ち川崎市役所は、組織として未だにグローバリゼーションを前提にしているものだから「不確実性の高まり」に対する認識もない。
たぶん、市長は「リスク」と「不確実性」の違いも理解できていないはずです。
これでは、行政として持つべき「レジリエンス」に乏しいのも当然でしょう。