以下は、某政令指定都市(川崎市ではない)の市議会議員がブロクで訴えている主張です。
「財政ビジョンに示された歳出改革により持続可能な市政運営を展開していく中で、無駄を削減していくと同時に、いかにして市税収入を増加させるかという視点、すなわち「歳入改革」も歳出改革の両輪と位置付けて精力的に取り組む必要があります。歳出改革が守りなら、歳入改革は攻めていく姿勢です」
当該議員は、続けて次のように言う。
「自治体にも、どうしたら儲かるのか、どうしたら稼げるのか、という経営者の視点が必要です」と。
いわゆる健全財政論ですね。
これだけでツッコミどころが満載なのですが…
まずは「無駄」と言うけれど、この種の人たちは「削減しなければならない無駄」を定義しない。
しない、というよりできない。
例えば公共事業についても、健全財政論者とはいえ、さすがに「公共事業のすべてが無駄だ…」とは言い切れないものだから、「無駄な公共事業…」という言い方をする。
では、無駄であるか、無駄でないかの線はどこでひかれるのでしょうか。
例えば2019年秋に発生した台風19号によって多摩川流域の各所で越流氾濫が発生しましたが、これを受けて国や関係自治体はショボい事業費で不十分ながらも堤防を強化したり、下水管を増設修繕したりして対策を施しました。
あるいは次なる大震災に備え、強靭化のために何千億円もの公共事業費を費やしたとしましょう。
でももしかしたら、あのような台風も、甚大な被害をもたらすような大震災もしばらくは来ないかもしれません。
来なかった場合には、それらの事業費は「無駄」ということになるのでしょうか。
なるほど経営者の視点からみれば、あきらかな無駄でしょう。
なにせ、支出した費用以上の歳入はないし、そもそも財政収支が黒字にならない事業なわけですから。
あたりまえの話ですが、防災であれ医療であれ軍事であれ、安全保障というのはそういう性質の事業です。
しかし前述の議員さんは「儲かるか、稼げるか」という経営者の視点が必要だと言っています。
「儲かるか、稼げるか」という経営者の視点が、インフラを脆弱化し国民を危険にさらしていることになぜ気づかないのか。
そもそも、企業経営と自治体運営では目的が根本的に異なります。
前者の目的は「利益の追求」であり、後者のそれは「経世済民の追求」です。
因みに「最幸のまち」を目指している自治体もあるようですが、市民が幸せかどうかは市民自らが実感すべきことであって、行政が「幸せとは、これだ」と決めつけることも目標とすることもできません。
経世済民を追求する行政が構築したインフラの上においてこそ、企業経営は利益追求のための各種事業を遂行することができるのです。
まずはインフラを構築すべき行政が、企業に先んじて利益を追求してどうするのか。
行政が黒字収支を求めるのは、景気が過熱しすぎてインフレ率が急上昇した局面(不健全なデマンドプル・インフレ)においてのみです。
とにもかくにも、このような議員さんは川崎市議会にもたくさんおりますし、全国の自治体にもおられることでしょう。
一つ言えることは、経世済民を理解できない議員や首長こそが無駄です。
ゆえに4月の統一地方選挙では、正しい貨幣観(財政観)をもった議員が躍進しなければならない。