歴史に学ぶ防衛力整備を

歴史に学ぶ防衛力整備を

防衛費増額の財源をめぐり与党内は混迷しているようですが、増税派の優位は揺るぎそうもありません。

「税は財源…」という誤認を解くのは至難の業です。

ただただ、ふつうに国債を発行してくれればいいだけの話なのですが。

さて、財源論よりもっと重要なのは、増えた防衛費で何をするかです。

ここのところよく耳にするのが「これを機に核武装すべきだ…」「中国の軍事的脅威から日本を守るには核保有しかないんだ…」という意見です。

この種の人たちは「核を持たないと尖閣が奪われる…」と二の句をつぎますが、残念ながら尖閣諸島を守るのに核は使えません。

仮に日本が核を保有したとしても、中国は尖閣を強奪しようとします。

そもそも防衛力整備を「脅威対抗論」で考えてしまうのはいかがなものでしょうか。

脅威対抗論というのは本来、軍事運用計画(戦略計画を含む)のためのものであり、軍事力整備のためのものではありません。

「仮想敵を決め、戦う場所を決め、そこで模擬戦闘を闘わせ、勝つために足りぬものを新たに整備すればいいじゃないか…」と考えるのでしょうが、侵略を受けたとき、戦う相手、戦う時、戦う場所、戦いの規模を決めるのは相手側です。

脅威対抗論による防衛力整備の難しさは、そこにあります。

例えば米国は、日露戦争に勝利した日本を脅威とみなし、対日戦略計画(オレンジ・プラン)を策定しましたが、そのプランは決して軍事力整備計画ではなく、あくまでも運用計画でした。

一方、日本は日露戦争後、仮想敵を陸軍はロシア、海軍は米国とそれぞれに定め、脅威対抗論で五十個師団とか八八(戦艦8隻、大型巡洋艦8隻)艦隊といった具合に軍備力整備構想を立てました。

ところが、結果として陸軍は異なる敵と戦い、海軍は予定の敵と戦ったもののその敵の懐の深さと科学技術の進歩を見誤って敗戦国となったわけです。

陸軍と海軍で脅威認識が異なったことも大問題でしたが、脅威対抗論による軍備そのものが間違っていたことは明らかです。

考えてみれば、脅威対抗論とは「敵味方ともに独力」という前提の上でのみ成立する考え方ですが、現実世界は「彼我ともに複数」です。

ゆえに、防衛力の整備運用に脅威対抗論を持ち出すことが、そもそも時代錯誤だったのだと思います。

日本の脅威は中国だけではないのですから、あらゆる事態に備え、オーランドに運用できる基盤を整備することが最も重要だと考えます。

昭和35年以降の17年間、わが国の防衛予算は毎年10%以上の伸びを続けていたのですが、三木内閣時代に政府は「防衛予算をこの辺で頭打ちにしなければ…」と考え、そのときに考案されたのが「基盤的防衛力構想」です。

当時はデタント(冷戦による緊張の緩和)時代で、即ち「当分は戦争はないであろう…」という空気が支配的で、「もしも戦争の危険が出てきたなら、その時点で防衛力を拡張(エキスパンド)すればよいので、今はその基盤だけを整備すればいい…」と考えたわけです。

そうした理屈で政府はGNP(国民総生産)1%以内という量的規制をつけて国民に説明し、17年続いた防衛予算10%以上の伸びは19年で止まったのですが、その翌年(昭和54年)には、ソ連のアフガン侵攻がありデタント時代が終わってしまったのは実に皮肉なことです。

それでも歴代政府はこの「GDP比1%枠」を保持し続けてきたわけです。

GDP比1%の枠が嵌められたうえに、1998年以降のデフレ経済でGDPそのものが成長しなくなってしまったがために、わが国の防衛費は圧倒的に不足状態に陥ってしまったのでございます。

もしも日本の防衛費が、毎年GDP比2%を維持し、そして日本経済がデフレに突入していなかったのなら、今頃はそれなりの基盤的防衛力を整備することができていたと思います。

実に残念です。