「必要最小限」からの脱却を

「必要最小限」からの脱却を

昨日のブログで、自民・公明の両党が「反撃能力」の保有について合意したことを取り上げましたが、政府としては第三国による同盟国への攻撃についても反撃能力の行使を除外するものではない、という方針も明らかにしています。

むろん同盟国とは在日米軍のことで、要するに集団的自衛権を行使する際には日本も反撃能力を発揮することができる、としています。

すこし説明が必要となります。

現在、日本政府は三つの「事態認定」を想定しています。

①重要影響事態

②存立危機事態

③武力攻撃事態

①の場合、自衛隊は同盟国に後方支援ができる

②の場合、自衛隊は同盟国とともに集団的自衛権を行使できる

③の場合、自衛隊は必要最小限の武力行使ができる

①の根拠法は『重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」であり、②③の根拠法は『武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律』です。

因みに『事態対処法』の言う「存立危機事態」とは、次のような事態です。

我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態…

要するに、政府としては「武力攻撃事態に至らずとも、存立危機事態においても反撃能力を行使することを除外しない」としているわけです。

さて、ここで問題となるのが「反撃の程度」についてです。

武力攻撃事態の武力行使についても「必要最小限」の言葉が使用されています。

とにもかくにも日本政府(内閣法制局)は「自衛については必要最小限を超えるものであってはならない…」を公式見解としてきました。

これは「武力行使は自衛の場面以外にはあり得ない」という先入観からくる誤解なのでしょうが、そもそも自己を守るための実力行使は、現状の保持または回復に制限され、その実力行使の諸手段は、その原因となった侵害に対して必要にしてかつ比例したものでなければならないはずです。

なので、自己を守るための実力行使の範囲は、通常「相手の侵害に応じて必要な限度内でなければならない」と表現されるべきです。

通常「必要な限度内」であるものを内閣法制局が自衛権の解釈にあたって「必要最小限」とした理由は、1837年の米英両国で紛争となったキャロライン号事件以降、国際法上確立されたという自衛の3要件(①急迫の侵害があること、②他に適当な対抗手段がないこと、③必要最小限度の実力行使に止めること」を援用したのだと思います。

しかし、この「必要最小限」という言葉が意外にも政治的効用を生んだことは確かです。

もともと「憲法9条は自衛権を認めているのか、いないのか」が争点でした。

ところが、先に自衛隊ができてしまったために「少なくとも個別的自衛権はある」と認めざるを得なくなりました。

「自衛権はあるのだ」という理由には諸説があり、それぞれに説得力はあったものの、それで理解しない人々が大勢いました。

そこで、それらの人々に「まぁ、ほんのちょっとだから勘弁してよ…」と言ってなだめることができた、という効用がそれです。

ところが、この言葉には副作用もありました。

「自衛は必要最小限」という言葉が全てとなってしまい、ついには「自衛がすべて」「必要最小限がすべて」に変わってしまったのです。

この枠組から一歩も出られなくなってしまったことで、自衛がすべてだから「日本は自衛以外の行動については考えない…」し、必要最小限がすべてだから「個別的自衛権の必要最小限で集団的自衛権も判断する…」し、「自衛以外の行動もあり得るなら、それらもすべて個別的自衛権の必要最小限という観点からみる…」ということになってしまったのでございます。

必要最小限とは「量」を表すものなのでしょうが、それがどのような量なのかは一度も明らかにされたことがありません。

繰り返しますが、自衛における反撃の限度は侵害の程度に応じるものであって、必ずしも「最小」ではないのです。