「今後30年以内に70%の確率で首都直下地震がくる…」と言われ続けて、すでに数年が過ぎています。
この脅威は2014年に政府の地震調査委員会によって示されたものですが、「今後30年で70%」という数字的根拠は過去に発生した以下の8つの大地震にあります。
①天明小田原地震 (M7.0)1782年
②嘉永小田原地震 (M6.7)1853年
③安政江戸地震 (M6.9)1855年
④明治東京地震 (M7.0)1894年
⑤東京湾付近の地震 (M6.7)1894年
⑥茨城県南部の地震 (M7.2)1895年
⑦茨城県南部の地震 (M7.0)1921年
⑧浦賀水道付近の地震(M6.8)1922年
因みに、これらの大地震は1703年の元禄関東地震(M8.2)と1923年の関東大震災(M7.9)の間に発生しています。
天明といえば歴史教科書でお馴染みの「天明の大飢饉」があり、嘉永といえば嘉永6年の「ペリー来航」があり、安政といえば「安政の不平等条約」や「安政の大獄」があって、NHK大河ドラマでもお馴染みの幕末の動乱時代ですね。
幕末の日本は、欧米列強の脅威に晒されていただけでなく、災害の驚異にも晒されていたわけです。
上記の8つの地震は全て関東近辺の地震ですが、実は幕末には東南海地震も多発していました。
安政元年(1854年)には東海地震、その30時間後には南海地震が連続して発生し、それぞれに数千人ずつの死者が出ています。
なお、終戦の前年となる昭和19年(1944年)には再び東南海地震、戦後すぐの昭和21年(1946年)には東海地震が発生しています。
その周期からしても、東南海地震の可能性が高くなっているらしいから実に厄介です。
東海地震、南海地震、首都直下地震がそれぞれに連動することはないのでしょうか。
とりわけ戦後の日本は、1946年に発生した昭和南海地震から1995年に発生した阪神淡路大震災までの間、幸いにして巨大地震に見舞われることがありませんでした。
戦後、我が国が驚異的な高度経済成長を成し遂げることができたのも、こうした背景があってのことだったかもしれません。
そのかわり、およそ半世紀にわたって巨大地震に見舞われなかったことで、日本人の災害に対する脅威認識が徐々に欠落していってしまったのかもしれません。
それだけに、1995年に発生した阪神淡路大震災は多くの日本国民にとって極めて衝撃的な災害だったと思います。
言わずもがな、我が国は歴史的にも世界に類例をみない超自然災害大国です。
にもかかわらず、半世紀にわたり巨大地震がなかったこともあってか、日本全体の災害に備える力が欠落していたのだと思います。
その証拠に、阪神淡路大震災の発生後、その復興に20年もの長い月日を要しています。
例えば、南海トラフが発生した場合の被害想定をみると、施設被害だけで170兆円になるらしいのですが、もしも復興に20年を要するとなれば、その経済被害は1240兆円に及ぶことになります。
災害により供給能力が壊滅的に破壊されるわけですから、政府の通貨発行能力(国債発行能力)は大きく低下します。
因みに、ここでいう「施設被害」には、電気、ガス、コンビナート、鉄道は含まれていませんので、それらの被害を含めると更に深刻な被害となります。
前述した「首都直下地震」が発生した場合の被害想定は、730兆円。
あるいは大阪湾で直下地震が発生した場合の被害想定は、64兆円。
なお、首都を流れる「荒川」が氾濫した場合の被害想定は26兆円、大阪の「淀川」で7兆円、伊勢湾に流れ込む「庄内川」でも12兆円の被害想定が明らかになっています。
むろん、以上に掲げた被害金額は、「(災害を)座して待っていれば…」という前提です。
予め防災投資(国土強靭化)を行っておけば、被害金額は格段に縮小されますし、なによりも多くの人々の命と財産と生活が救われることになります。
残念ながら現在の我が国では、災害対策(国土強靭化)よりもプライマリー・バランス(財政収支の縮小均衡)のほうが重視されています。
例えば、首都を流れる「荒川」と、米国の「ミシシッピ川」の堤防整備率を比較してみましょう。
荒川は「200年に一度の洪水」に対し70%の整備率ですが、ミシシッピ川は「500年に一度の洪水」に対して80%の整備率となっています。
桁の違いをご理解いただけるものと存じます。
政府は2021〜2025年度の5年間で防災・減災のために国土強靭化を加速させるとしていますが、その事業規模はわずか15兆円(年間3兆円)ぽっきりです。
しかもこれ、「計画」ではなく加速化されるための「対策」なのでございます。
計画でなく対策としているところに、我が国の政府が災害というものをいかに「軽く」みているのかが解ります。