本日、安倍元総理の国葬が行われます。
国葬とは、国に功労のあった人の死去に際し、政府が主催し全額国費で執り行われる葬儀のことですが、正式には「国葬儀」と言います。
今回の国葬儀は政府与党の根回し不足もあって、野党のみならず与党や国民の一部から強い反対意見が上がり政治問題化してしまいました。
残念ながら、どのような基準で国葬を催すかを定めた法律がありません。
ただ、戦前までは『国葬令』という法的根拠がありました。
『国葬令』は、皇太子殿下などご皇族のほか「国家に偉勲ある者」を対象と明確に定め、例えば明治の元勲と言われた伊藤博文や山縣有朋、あるいは軍人としては日露戦争の英雄である東郷平八郎元帥、連合艦隊司令長官の山本五十六なども国葬で送られています。
その後、敗戦国となった我が国はGHQの占領下に入って主権を失い、例によって『国葬令』は廃止されてしまいました。
戦後は、死去までの事情を踏まえて、時の内閣が行政権の行使としてその都度判断するようになりました。
因みに、岸田内閣は安倍元総理を国葬儀の対象とした根拠として、つぎの4つを上げています。
①憲政史上最長の通算8年8ヶ月の首相在任
②東日本大震災からの復興や経済再生、日米関係を基軸とした戦略的外交
③国際社会からの国をあげた弔意
④民主主義の根幹である選挙中の銃撃
理由の一つ一つに難癖をつけようと思えば、いくらでもできます。
であるがゆえに、岸田内閣(政府)は丁寧に与野党に根回しをすべきだったと思います。
吉田茂元首相の国葬は、吉田茂を師と仰いだ当時の佐藤栄作首相の意向で決められたものですが、岸田首相とは異なり佐藤首相は丁寧に野党を説得し、その理解を得ることができたために今回のような混乱を来すことなく国葬を執り行うことができました。
要するに、しっかりと「根回し」をしたのです。
とかく現代においては「根回しは悪いもの」とされていますが、国家であれ、企業であれ、家庭であれ、人間社会という共同体をうまく運営するには根回しは必須です。
もともと「根回し」は園芸や造園の世界の言葉ですが、これを行わなければ移植した樹木は枯れてしまいます。
私の個人的感覚ですが、日本の政治は新自由主義思想が蔓延した1990年代ころから根回しを軽視するようになったような気がします。
田中角栄先生や竹下経世会が権勢を振るっていたころはそんなことはなかったはずです。
とにもかくにも国葬儀を迎えた今日、テロも混乱もなく無事に終了することを切に願います。
国葬儀に賛成か反対かという低次元の議論はもういい。
どのような理由であれ、一旦政府として決めた以上、国際的な信義と信用を害さないために、厳かにそして気品たかく国葬儀を完遂してほしい。
大東亜戦争の開戦に反対であった者でも、一旦戦火が開かれたならば挙国一致で団結したのと同じように、ナショナリストにはナショナリストとしての作法と矜持があります。