力による現状変更

力による現状変更

現在のメキシコにあたる地域には、2万年以上も前に既に人類が進出しており、高度な文明が築かれていました。

そこへ16世紀後半、呼んでもいないのに大海を超えコロンブスらが先兵として乗り込んできた。

やがて、武器とウイルスをもったスペイン人たちが束になってやってきてメキシコを植民地化したわけです。

そこで厳しい収奪と殺戮が行われたことは周知のとおりです。

18世紀末に入るとヨーロッパで革命が相次ぎ、その勢いに乗ってメキシコでも「独立革命」が起こりました。

結果、メキシコは見事に独立を果たします。

それでもメキシコの苦難の歴史は続きます。

例えば1820年代、メキシコ領テキサスでは、圧倒的多数のコマンチェやアパッチなどのインディアン部族が暮らしていたのですが、そこに米国から開拓民が入植してきます。

但しメキシコは「入植するのは良いけれど、ちゃんと法を守ってもらわねば困ります。とくにメキシコは自由の国だから奴隷は許しませんよ」と米国に通達しています。

ところが相手は米国でした。

奴隷は連れてくるは、秩序は乱すは、税も納めない。

郷に入って郷に従おうとする気など皆無な態度は、インバウンドで大量に来日した中国人の姿に似ている。

やがて入植者がメキシコ人の3倍を超えたところで、米入植者たちはテキサスをメキシコから独立させるための「住民投票」を提案します。

どこぞやの思慮浅い市長が聞いたら喜びそうな話です。

多数を占めた米入植者たちは勝利し、塩梅良く「独立」が宣言されることになりました。

こうした米入植者たちの振る舞いにより、メキシコの指導者であるサンタ・アナ将軍の怒りは頂点に達します。

なお、1836年に米国はテキサスのサンアントニオに独立運動の象徴たる「アラモ砦」を築かせていますが、これがメキシコにとって大きな罠だった。

サンタ・アナ将軍は自ら1600人の兵を率いてアラモ砦を襲います。

アラモ砦には300人ほどの米国人しかいなかったので、砦に立てこもり包囲戦に持ち込まれます。

包囲戦は続いたのですが、アラモ砦には2週間が経っても本国からの援軍は来ない。

そこがミソです。

結局、メキシコの総攻撃によってアラモ砦は陥落します。

黒人奴隷2人と婦女子24人の命は救われましたが、抵抗した男たちは全員が死ぬことになりました。

すると、アラモ砦が陥落するのを待っていたかのように、米国本土から正規軍で編成された義勇軍が「リメンバー・アラモ」を叫びながらテキサスになだれ込み、圧倒的な武力によってメキシコ軍を撃退します。

サンタ・アナ将軍は囚われの身となり、テキサスはめでたく分離独立を果たし米国に併合されてしまいました。

「リメンバー・〇〇」という合言葉で、国民の戦意を鼓舞し、侵略戦争を正当化する。

要するにアラモ砦は、米市民が心を一つにして「リメンバー・アラモ」を叫べるようにするための「捨て石の砦」だったわけです。

このように、リメンバー・アラモによるテキサス併合は「力による現状変更」そのものでした。

味をしめた米国は、その後もこの手法を多用します。

リメンバー・メーン号でスペインからフィリピンを奪い、リメンバー・パールハーバーで日本を占領し太平洋を実質的に米国の内海としたのです。