「人は必ず死ぬ…」という真理があるように、インフレ率が許すかぎりにおいて自国通貨建ての国債がデフォルト(債務不履行)することはあり得ないこともまた真理です。
これを理解できない、あるいは理解しようとしない政治家、官僚、学者、メディア、国民世論が我が国経済を長期にわたりデフレに陥れ、国民を貧困化させ、国を発展途上国化させています。
ここで言う「デフレ」とは貨幣現象のことではありません。
総需要の不足(使われるおカネの不足)のことです。
デフレ経済は1997年から既に25年目に突入しており、これを回避しないかぎり日本の発展途上国化は止まりません。
ゆえに、とにもかくにも政府が消費や投資としておカネを支出し需要を創出し、デフレギャップを埋めなければならないのでございます。
にもかかわらず「政府は無駄なカネを使うな!」「自分たちと同じように節約しろ!」というルサンチマン政治が現実と化し、益々もってデフレが深化するという不毛な悪循環が続いています。
そのため、かつて我が国のGDPが世界に占めるシェアは18%にまで達していましたが、デフレ突入後はだだ下がりで今やその割合は6%を切っています。
政府支出が伸びていないため、例えば購買力平価で比較すると既に日本の防衛費は韓国のそれに抜かれています。
もはや日本は世界にとっては「とるに足らない国」になってしまったのです。
むろん、これはべつに日本国民が努力をしていない、といった話ではなく、前述のとおり政府がデフレを放置しているためです。
ただし、「政府は無駄なカネを使うな!」「自分たちと同じように節約しろ!」などの国民世論が結果としてデフレ放置を支持していることは否めません。
まずは家計簿と行財政では善悪が異なることを理解しなければならず、それには何よりも貨幣に対する正しい理解が不可欠です。
願いが叶うのであれば、一人でも多くの日本国民に正しい貨幣観が広まってほしい。
おカネには次のような真理があります。
日本で利用されている貨幣は、全て「誰かの貸し(資産、債券)」であり、と同時に「誰かの借り(負債、債務)」です。
例えば、現金紙幣は日銀の借りであり、保有する者にとっての貸しです。
銀行預金は預金者の貸しであり、銀行にとっての借りです。
国債は政府の借りであり、保有する者にとっての貸しです。
このようにおカネとは即ち貸借関係そのものであり、貸借関係を創出することを「信用創造」と言います。
英語で Money Creation です。
一方、家計簿財政主義の人たちは、どうしてもおカネを「貸借関係」ではなく、「金貨」や「銀貨」で考えてしまうがために「限りのあるモノ」「使ったら消滅するモノ」と捉え、いわば「江戸幕府の御金蔵に何枚の小判が残っているのか…」みたいに国家財政を考えてしまうのでしょう。
因みに、百円玉や五百円玉などの硬貨は決済時の利便性を高めるための補助通貨であり、貨幣ではありません。
貨幣への理解は、経世済民にとって実に重要な問題であると同時に、なかなか理解され難い実に厄介な問題です。