言わでもがな、神話は実に尊いものです。
キリスト教徒にとって聖書があるように、あるいはイスラム教徒にとってコーランがあるように、我が日本国民にも神聖なる建国神話があります。
ところが、敗戦により占領統治を受けた日本では教育の世界から神話が消され、いまや日本国民のなかには伊邪那岐命(イザナギノミコト)も伊邪那美命(イザナミノミコト)のことさえ知らぬ人たちも多い。
占領政策とは、本当に恐ろしいものです。
建国神話を記録した日本最古の歴史書といえば『古事記』であり、二番目に古いものが『日本書紀』となります。
これらは国家が編纂した列記とした「公文書」です。
古事記(編纂責任者:太安万侶)が完成したのが712年、日本書紀(編纂責任者:舎人親王)が完成したのが720年です。
こうして記紀は、ともに天武天皇の命により同時期に編纂されました。
なぜ、天武天皇は2つの歴史書を編纂するように命じたのか。
それぞれの特徴を比べると、よく理解できます。
ご承知のとおり我が日本国は世界最古の国家であることから、建国の歴史についてはわからないことも多い。
なにせ文字ができる前から建国されたわけですから無理もない。
日本列島ではじめて文字が作られたのは概ね5世紀ごろです。
文字のない時代に神武天皇が大和で初代天皇に即位され、その後、国家が統合されていったのでしょう。
統一国家として統合されたのは3世紀ごろです。
とにかく文字のない時代なわけですから解らぬことも多いのは当然なのですが、それを補完してくれるのが『古事記』と『日本書紀』です。
両方を読み比べると、違いがあることがよくわかります。
例えば古事記には序文がついており、どうして古事記を編纂したのか、という理由が説明されています。
一方、日本書紀には序文がついていないのですが、それでも中身を読めば違いがわかります。
古事記については、天武天皇の「建国の経緯をちゃんと文字でまとめておかないとわからなくなってしまう…」というお考えがあったようです。
思えば凄いことです。
なにせ編纂された712年の時点において、そこからさらにさかのぼって古き事が記されているわけですから。
読むとわかりますが、古事記では古いことほど詳細にかかれており、時代がくだって新しい出来事ほど簡略化して記されています。
まるで「最近の歴史を知りたければ日本書紀を読んでくれ!」と言わんばかりに。
その日本書紀は、なんと外国語(漢文)で記されており、あきらかに海外にむけて「我が日本国はこういう歴史をもった国ですよ!」を強くアピールした歴史書になっています。
国家が編纂した公式な歴史書である「正史」の一番最初こそが『日本書紀』なのでございます。
古事記はそれに準ずるもので、天皇の国土の支配や皇位継承の正当性を示すために大和言葉で記されましたので、むろん国内向けに編纂されたわけです。
因みに『日本書紀』以降も、『続日本紀(しょくにほんぎ)』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳(もんとく)天皇実録』『日本三代実録』の六国史が正史として編纂されていきました。
日本の歴史を知りたくば、まずは記紀を知るべし…
アーノルド・トインビーも「自国の歴史を忘れた民族は滅びる」と言っています。