人口あたりの病床数は決して少なくない日本ですが、新型コロナ感染が拡大した際には病床が逼迫しました。
全国に165万以上の病床があるにもかかわらず、そのわずか2%しかコロナ病床を確保できないのは、我が国の医療行政に「病床は公共財である」という概念がないからです。
なぜ、そうなったのか?
医療行政の歴史を遡ることで理解できます。
大東亜戦争が終わった当時、わが国にはおカネがありませんでした。
戦争により供給能力が毀損されていたので、MMT(現代貨幣理論)が言うような通貨発行による財政支出の拡大はできなかったのです。
カネのない政府としては、地域医療のほとんどを、いわば民間病院に丸投げしたわけです。
その後、1960年代になって国民皆保険制度が整い、国民の医療ニーズが高まりました。
医療ニーズが高まるのと比例するように、民間病院が急増したことで過当競争が生まれ、1985年になって医療法により病床数が規制されるに至りました。
緊縮財政を旨とする国としては、できるだけ医療費を抑制したい。
とはいえ、民間病院には手が出せなかった厚労省や総務省は、国・公立病院の統廃合などにより病床を抑制することで地域の病床削減を図ろうとしました。
その結果、日本の医療機関は中小の民間病院が主体となり、ある意味では世襲制の経営者である院長を抱く民間病院の経営者たちが、地域医療を病院協会という組織を通じて差配するかたちになっていったわけです。
さらには、一般庶民には金銭的に入学することがほぼ不可能な私立の新設医科大学を増設して、この世襲制をさらに後押ししたのです。
我が国の医療行政の最大の問題点は、病床を民間病院の私有財産として認め、その使用に際して公共性を求めなかったことです。
即ち、病床の総量規制はあるものの、「公は悪、民は善」という新自由主義思想の下、青天井の医療費で病床を武器にした病院の自由競争を認めてきたわけです。
なお本来、公共性が求められる公立病院に対し、民間病院を見習えと言わんばかりに競争原理を導入し、経営効率を優先するように仕掛けてきた罪は思い。
このような場当たり的な無軌道な医療政策により、日本の医療から「公共性」という医療でもっとも大事な概念を殺してしまったのです。