悪魔の挽き臼

悪魔の挽き臼

きのう内閣府から発表された7~9月期のGDPは、物価変動の影響を除いた実質値で前期比0.8%の減、年率換算で3.0%の減と落ち込みました。

なかなかV字回復しません。

それもそのはずで、国民経済を苦しめるコロナ禍においてもなお、安倍内閣も菅内閣も財政支出をろくに拡大してこなかったのですから当然といえば当然の結果かと思われます。

財政収支均衡主義に陥った政府とは、要するに「何もしない政府」です。

入るを量りて出(いずる)を制すという考え方は、政治の目的である経世済民の敵です。

経世済民を達成するための基本的な財政政策は次の二つです。

①デフレ期(総需要の不足経済期)には、インフレ率が安定的に上昇するまで入るを無視して出(いずる)を拡大する

②インフレ率が過度に上昇しはじめたら、今度は出(いずる)を制して入るを拡大する

ポイントはあくまでも、税収は財源ではない、ということです。

なのに多くの政治家、官僚、学者、メディア、国民が「限られた収入の範囲でしか支出は許されない」という誤解に染まっています。

とりわけ、主流派経済学は「政府による財政支出の拡大は市場を歪める」と考えていますが、政府による介在のない放置された市場ほど歪みに歪んでいくものはない。

ヨーゼフ・シュンペーターは放置された資本主義がやがては資本主義そのものを破壊しかねない危険性を「創造的破壊」という言葉を使って指摘しました。

因みにシュンペーターは「技術革新は市場から生まれる…」などとは一言も言っていません。

なおカール・ポランニーもまた次のように述べています。

「市場が社会から切り離されるとき、すべては市場の要求に従属することになる。市場は悪魔の挽き臼となり社会は使い潰される」

国境をなくし各国の政府の役割を小さくすることでヒト・モノ・サービス・カネの移動の自由を最大化してきたグローバリゼーションは、①緊縮財政、②規制緩和、③自由貿易の三つを絶対的正義としてきました。

しかしながら、緊縮財政は結果として国民を分断し、規制緩和は所得格差を拡大させ中間所得層を破壊し、今回のコロナ化においても自由貿易は大きなリスクをもたらすことが明らかになりました。

そして冒頭のグラフのとおりの世界的な富の偏在をもたらしました。

ようやく世界はグローバリズム(緊縮財政・規制緩和・自由貿易)の過ちに気づきはじめた感がありますが、我が国の政治は未だ「新しい資本主義…」と言うだけで具体的な政策転換が進んでいません。

実に残念です。