稲田朋美という、政治家としてあまりクオリティの高くない国会議員(衆議院議員)がいる。
彼女は国会議員のなかでも指折りの「緊縮財政派」で財政健全化(財政収支の縮小均衡)の必要性を主張しています。
さすがに今は国民からの批判を恐れて、コロナ下での歳出削減を封印しているようですが、コロナ問題が落ち着けば必ず「財政再建」を主張しだすのは明らかです。
ただ稲田氏自身は「自分は緊縮派ではない」と否定しています。
否定しつつも彼女は「理念なきバラマキには反対で、財政再建の旗を降ろさず次世代のための改革を進めたい…」などと言っています。
この種の人たちがズルいところは「バラマキ」とは何か言葉の定義しないことです。
何をもって「バラマキ」となすのかを明示もせず、あまつさえそこに「理念」という極めて抽象的で曖昧な言葉までつける。
稲田氏の言う「理念なきバラマキ」とは何なのか?
「じゃぁ、具体的に言ってみろ…」と尋ねられたら、おそらくまともに答えることもできないでしょう。
こうした無責任な人が国会議員をやっているのだから、我が国の行く末が危ういのも当然です。
さて、そこで今日は、改めて政府支出とは何かについて考えてみたいと思います。
稲田氏はご存じないでしょうが、政府の支出は以下の三種類に分類されます。
①GDPを形成し、同時に政府に固定資産が残る支出
②GDPを形成するが、政府に固定資産が残らない支出
③GDPにもならず政府に固定資産が残らない支出
以上の三つです。
まず、①の代表的支出が公共投資です。(但し、GDPになるのは公共投資から用地費等を除いた公的固定資本形成のみ)
次いで②の代表的支出が医療費や公務員給与であり、③の代表的支出が年金や生活保護費です。
とはいえ、断っておかねばならないのは、例えGDPや固定資産にはならなくとも、政府が①②③の支出をすることで、必ず金融資産面において政府は「純負債」を創出しています。
いつも言うように、誰かの負債は必ず誰かの資産になるからです。
これは誰も逃れられることのできない物理的事実です。
政府が純負債を形成すれば、必ずその反対側で民間(企業・家計)には純資産が形成されるのですから。
ゆえに政府支出の拡大に異を唱える人たちは企業や家計の資産が増えることに異を唱える人たちであり、逆に政府支出を抑制したい人たちは企業や家計の資産が減ることを喜んでいる人たちです。
因みに、GDPが増えることで国民の所得が総体的に増えますし、政府がつくった固定資産(公的固定資本)の上で国民は経済活動を行うことができ、またそれにより自然災害等の脅威から国民の生命と生活が守られています。
しかしながら、上のグラフのとおり政府の総固定資本形成は1996年をピークに着実に減り続けています。(日本の緊縮財政は橋本内閣時代の1997年からはじまりました)
政府の固定資本形成が減り続けているということは、国民のGDP活動の足かせになっていることを意味し、自然災害等の脅威に国民を晒し続けていることを意味しています。
なお繰り返しますが、例えGDPや政府の固定資産にならずとも必ず国民の金融資産が増えていることは歴然たる事実です。
稲田氏をはじめ緊縮財政派が間違えているのは、政府支出の財源が国民の納める税金だと思い込んでいることです。
だから、税収(収入)の範囲内で支出しなければならない、と誤解するわけです。
むろん税収は、政府支出の財源ではありません。