20世紀初頭に発生した2つの大戦(第一次世界大戦と第二次世界大戦)。
実は第一次世界大戦も、それにつづく第二次世界大戦も、いずれも世界がグローバリゼーションに突き進んだ結果として勃発した大戦争であったことをご存知でしょうか。
グローバリゼーションとは国境の壁を低くし、ヒト・モノ・カネの移動の自由を最大化させる弱肉強食の世界をつくることです。
特にこの時代は、自力で他国による侵略を阻むことのできない国々は次々と植民地となり、植民地化された国の民は奴隷となってプランテーションで働かされることになりました。
一方、例え列強といえども、ドイツやイタリアがそうであったように(やがて日本もそうですが…)、近代国家を運営するために必要な資源を持てぬ国は経済的に締め上げられたことから最後は戦争に打って出ざるを得なかったのです。
つまりグローバリゼーションは本質的に貧富の格差を拡大させるのみならず、国家間の格差をも拡大させるに至り、そうした格差への不満がやがては共産主義を生み、そしてドイツやイタリアにおいては全体主義(ファジズム)を生むことになったのです。
第一次世界大戦の際には、実はアジアにおいても別の紛争が発生していました。
例えばジャワ島の中心部ではプランテーションの労働者によるストライキが発生し、マレー半島のクランタン州では新税に対する反乱も発生しています。
そして、ヴェトナムのサイゴンからスマトラにかけて、そしてシンガポールからラホールにかけて抵抗思想が広がっていったのです。
抵抗とは、むろんグローバリゼーションへの抵抗です。
そうした抵抗の中から「欧米列強に支配されている自分たちアジア人を開放させよう」というアジア主義思想が生まれ、やがては我が日本国が主導するアジア開放運動(大東亜共栄圏)へとつながっていきました。
時代は下って、米ソ冷戦の末期となった1980年代、則ちソ連が主導する東側陣営の衰退が明らかになったころから、今度は米国を覇権国とするグローバリゼーションがはじまりました。
この時代のグローバリゼーションを支えた経済思想こそが、例のネオリベラリズム(新自由主義)です。
則ち、自由化、民営化、規制緩和、自由貿易、政府財政の縮小均衡が、世界的規模で追求された時代のはじまりです。
やがて莫大なカネ(グローバルマネー)が瞬時に世界を駆け抜けるようになり、グローバル市場で戦う企業はただただ四半期利益の最大化を求められ、何よりも株主利益が優先されました。
世界的規模で中間所得層が破壊され格差が拡大したのはそのためです。
なお、株主利益の最大化するために行われた代表的な税制改革が、法人税率の引き下げです。
ご承知のとおり、株主配当の原資は企業の純利益です。
企業の純利益は税引前利益から法人税を払って確定しますので、法人税率の引き下げはひとえに株主のための税制と言っていい。
ネオリベラリズムに洗脳された、いかにも勉強不足な政治家たちが口を揃えて「法人税率を下げないと企業が海外へ出ていってしまう〜」と訴え続けました。
ゆえに世界中で法人税率の引き下げ競争が繰り広げられていきました。
そしてあろうことか各国政府は、法人税減税の代替財源として消費税(付加価値税)率を引き上げたのです。
これらのことが資本収益で暮らす投資家たちを潤し、所得(GDP)で暮らす多くの国民を苦しめました。
世界的規模での法人税率と労働賃金の引き下げ競争、いわゆる「底辺への競争」ですね。
実に罪深いことです。
そうしたなか、覇権国・米国の相対的な国力の低下によって、ようやくグローバリゼーションが終わりを迎えつつあります。
覇権国なくしてグローバリゼーションは成立しません。
去る7月、各国の法人税率を「最低でも15%以上」にすることがG20財務相・中央銀行総裁会議で大筋合意されたのはその証左です。
むろん、法人税率「15%」はまだまだ低い数字ですが、まずは一歩前進です。
例えば、多国籍企業がいずれかの国で15%を下回る税率での負担しかしていない場合、その企業の本社がある国の政府は最低税率に達するまで上乗せして課税できるようになります。
これで、いわゆる「タックスヘイブン」も無くなります。
今後は「底辺への競争」も解消されていくことになるでしょう。
とりわけ、グローバル企業(多国籍企業)は、あまりにも長い間、少ない支出(負担)で他の人々が負担する公共財にただ乗りしてきましたが、今後は相応の負担を強いられることになることでしょう。