本日、4月29日は昭和節です。
昭和天皇が崩御された昭和64年(平成元年)以降は「みどりの日」とされましたが、平成17年の「国民の祝日に関する法律」改正により平成19年からは「昭和の日」となりました。
同法第2条によれば、今日は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日であるとのこと。
なので、ここでは少しだけ「復興を遂げた昭和の時代」を顧みたい。
あの戦争により国内供給能力の8割以上を喪失した日本は、わずか20年ばかりで驚愕の高度経済成長を成し遂げました。
そこには数々の偶然の重なりもあったのでしょうが、基本的には官民あげての「投資!」「投資!」「投資!」があってのことだったと思います。
高度成長期の人口増加率は毎年1〜2%程度ですが、年平均の経済成長率はなんと驚異の10%です。
よく経済成長の源泉を「人口増」に求める人たちがおられますが、これは間違いです。
人口の増減は経済成長の結果であって原因ではありません。
これを理解できない人たちが「人口減の日本は移民を受け入れなければ…」などと無責任に発言しています。
現に、高度経済成長期の日本の有効求人倍率は1.7倍以上、完全失業率は概ね1.5%程度でしたが、「人手不足だから移民を入れろ」と言われている現在の日本の有効求人倍率は1.2倍程度、完全失業率は概ね2.5%です。
要するに高度経済成長期の人手不足は現在の比ではなかったのです。
それでもわが国は移民を受け入れることなく、果敢なる投資の継続によって日本人(一人あたり)の生産性を向上させることで成長しました。
というか、そもそも一人あたりの生産性を向上させることを「経済成長」と言います。
一方、戦後の日本には、とにかく国を再建しようという実務家たちや、とにかく働いて苦境を脱しようという国民が大勢いたことも大きい。
とりわけ、米国を視察した実務家たちは、例えばデトロイトの巨大産業を見て、その技術力の差に愕然としたらしい。
日本が戦争に負けた最大の技術的要因は、レーダーや電子機器技術と工作機械技術にありました。
あの神秘的な戦闘機である零戦をつくった工作機械もすべて外国製でした。
ゆえに、戦後日本が技術面で最初に取りかかるべき分野は明確だったわけですが、やがてはオイルショックさえも味方につけて、昭和の日本は世界随一のハイテク大国にまで成長していったのです。
マッカーサーは当初、戦前に軍需産業や軍国主義に関わった財閥・人物を追放することを重視していましたが、日本を経済的に貧しいままにしておくと、やがてはソ連に唆されて共産革命が起きる可能性もあったことから、マッカーサーは方針を転換します。
一度追放した財閥や人物の多くを呼び戻したのです。
戦後、米国へ視察に赴いた実務家たちも呼び戻された人たちですし、今日でも三井・三菱・住友などの旧財閥が企業グループとして存続できているのもそのためです。
ちなみに、マッカーサーに方針転換させたのは、「X論文」で有名な外交官であり政治学者であったジョージ・ケナンだと言われています。
やがて、昭和から平成に時代が変わったころ、ちょうど東西冷戦構造が崩壊しました。
すると今度は、経済的に豊かになり過ぎた日本を弱体化させることが米国の国是となり、日本国内のネオリベラリストたちを使っての「構造改革の強要押し付け」がはじめられ、以降わが国は衰退の一途を辿っています。