ここ数年、NHKの大河ドラマを全く観ていません。
最後に観たのは『真田丸』だったか。
昨年の大河ドラマは紫式部を主人公にしたようですが、視聴率はあまり高くなかったのではないでしょうか。
私の印象からすると、大河ドラマの視聴率が高くなる年は、たいていの場合「戦国」か「幕末」を題材にしたときです。
ゆえあってか、今年の大河ドラマは幕末から明治にかけての物語らしい。
一方、過去の大河ドラマでは、例えば戦国物の場合、できるだけ織田信長で引っ張る。
むろん、そのほうが視聴率を稼げるからでしょう。
本能寺で信長が倒れた後は、たいてい急にドラマがつまらなくなります。(あくまでも私の印象)
これまでも「豊臣秀吉」を主人公にした大河ドラマが何度かありましたが、半年は信長を生かす。
特に秀吉が主人公の場合は、秀吉の晩年のイメージが良くないこともあるのでしょう。
どちらかというと、信長の元で出世していく若き日の姿に光があてられがちです。
現在の歴史教科書でも、晩年の秀吉については次のように記載されています。
「前後7年に及ぶ日本軍の朝鮮侵略は、朝鮮の人々を戦火に巻き込み、多くの被害を与えた。また国内には膨大な戦費と兵力を無駄に費やす結果となり、豊臣政権を衰退させる原因となった」(山川出版『詳説日本史』)
私も中学生のとき、歴史の先生から「天下をとっても秀吉の野心は尽きることなく、朝鮮出兵が行われた」と教わりました。
晩年の秀吉が悪者にされる理由の一つは、バテレンを追放し、キリスト教を禁止したからだと思います。
後の徳川時代もまた「島原で大勢のキリシタンを殺した閉鎖的な封建社会だった」みたいにされています。
秀吉がキリスト教を嫌ったのには、当然のことながらそれなりの理由があります。
それは、キリスト教を布教するスペイン人やポルトガル人が行った非人道性にあります。
彼らにとっては、「同じ神」を信じていない者たちは人に非ずでした。
だから奴隷にしても構わない…と。
秀吉がバテレン追放令を発した直接の理由は、有馬晴信などのキリシタン大名たちが火薬の素となる硝石を得るために、捕らえた敵軍の将兵や領地の女性たちをバテレンたちを介して海外に売りさばいていたからです。
一説には、硝石一樽で日本人女性50人が交換されていたと聞く。
この事実を知った秀吉はポルトガル宣教師コエリヨを呼びつけ「海外に売られた日本人たちを連れ戻せ」と命じたのですが、増上慢に満ちたバテレンどもは一切応じない。
たまりかねた秀吉は「バテレン追放令」を出したわけです。
徳富蘇峰の『近世日本国民史』によれば、バテレン追放の5年前に日本を発した天正遣欧少年使節の一行も欧州の地で「日本の娘たちが秘所丸出しでつながれ、弄ばれ、売られていく」のを目撃しています。
そして朝鮮出兵にあたり秀吉は、フィリピン総督に(当時のフィリピンはスペインの植民地)に次のような書簡を送りつけています。
「朝鮮、琉球と、その他の諸国は私に服従した。次は明を攻める予定だ。お前らは私に従う時が来た。少しでも服従が遅ければ、速やかにお前たちに罰を与える。その時後悔しても遅い」
ビビったフィリピン総督は時間稼ぎをしてスペイン本国と連絡を取り合うのですが、そうしたなか秀吉からさらなる書簡をつきつけられます。
「日本は神国だ。お前たちのやり口は知っている。好きなようにはさせない。数年前、宣教師たちは日本に来て、キリスト教を説き、国民の信仰をめちゃくちゃにし、政治も破壊した。そこで私が布教を禁止したにもかかわらず、お前たちはそれをやめなかった。だから、宣教師たちを殺すように命じたのだ。その理由は、スペインが布教と称して宣教師を使い他の国を侵略していると聞いていたからである。もし日本がお前たちの国に赴き、神道を広めようとしたらどう感じるだろうか。お前たちがそういう方法でフィリピンを実際に侵略し、君主を追い出し、新しい君主になったのを知っている。そしてやがては日本も侵略しようとしていることだってお見通しだ」 (『異国往復書書簡集』)
要するに、秀吉による朝鮮出兵は単なる野心や暴走ではなく、西洋列強の脅威に対抗するために計算された戦略(威嚇)だったかもしれない。
日本の歴史教育の欠点は、日本史と世界史とを切り離して教えていることです。
これでは、その当時の外交的背景から歴史を紐解くことができない。
因みに、もしも織田信長だったら秀吉のように朝鮮には出兵せず、直接フィリピンを叩いていたかもしれない。
それは、大東亜戦争のはじまりと言っていい。