言葉の乱れは政治の乱れ

言葉の乱れは政治の乱れ

本日2月13日は「苗字制定記念日」です。

明治8年の今日、太政官から「平民苗字必称義務令」が布告され、すべての国民は名字を名乗ることが義務付けられました。

実はその5年前の明治3年9月19日には既に「平民名字許可令」(こちらは義務でなく許可)が布告されていたのですが、平民のあいだで名字を名乗る人が普及しなかったため、明治8年の義務令布告に至ったわけです。

しかしながら、ここでいう苗字(名字)は、いずれも「氏」のことであって「姓」ではありません。

これを誤解されている方が多い。

昨今、リベラル派を中心に、いわゆる「選択的夫婦別姓」を主張する人たちが大勢いますが、これは明らかにおかしい。

そもそも現在の我が国に「姓」の制度はなく、「夫婦別姓」法案など存在したことが無いのでございます。

実現しようとする政治課題を冠し、長い法案名を短縮・略称することはあり得ても、別概念をもって呼称するのは国民を騙す悪質な行為です。

少なくとも、氏と姓のちがいを理解せぬまま、いわゆる「選択的夫婦別姓」を主張している議員は、すぐにでも辞職したほうがいい。

氏は、夫婦と子どもを単位とする纏まりを指します。

氏は家族名称ですので、氏が同じであることは一つの家族の証であり、氏を異にすれば別家族ということになります。

このように、我が国の家族制度は「氏」によって規定されているわけです。

一方、「姓」は父親の属する血族を表す名称です。

姓制度を導入すれば必然的に夫婦は別姓となり、かつ原理上当然のことながら母子は別姓となります。

明治政府が「姓の制度」を導入せず、「氏の制度」を導入した背景には、母子の苗字が異なってしまうと、家族としての一体性が損なわれてしまう判断したのだと思います。

実の父を選択することはできないため、姓そのものを選択することもできませんので、どちらにしても「選択的」は原理的に不可能なのです。

もし選択できるのであれば、それは氏でも姓でもありませんので、「選択的夫婦別姓」は論理矛盾となり法制化できません。

現在、我が国の最大の政治問題は、議員や首長と呼ばれる人たちをはじめ、役人、メディア、学者らの多くが、言葉や概念を正しく理解せぬまま、あるいは事実を無視し、合理主義に基づいて政策を語っていることです。

言葉の乱れは、政治や社会の乱れそのものです。