今年は本日2月3日が立春(節分の翌日)ですので、和暦では元旦にあたります。
暦の上では春となって日脚は伸びつつ、木々は芽吹いてきているとはいえ、まだまだ寒さは厳しい。
立春後しばらくの間の時候を「早春」というのも、もとより寒さが厳しく、すべてに冬の気配が漂うなかでも、何やら春めく感じを抱かせるからでしょう。
「春めく」なんていう言葉は、実に日本人らしい。
私愛用の和英辞典(研究社の新和英大辞典)で「春めく」を調べてみると、「show signs of Spring」「become springlike」「look like spring」などと英訳されていますが、例えば「show signs of Spring」をGoogle翻訳でさらに和訳すると「春の兆しを見せる」という訳がでてくるあたり、「春めく」は英語では訳しきれない言葉、つまりは英語では理解され難い感性なのでしょう。
因みに、「小川のせせらぎ」という言葉も、英語圏の人たちには理解できない感性らしい。
それにつけても、日本ほど四季の変化に富み複雑な地形をもった国は珍しく、そうした季節や地形に応じた自然の恵みから「春めく」や「小川のせせらぎ」などの言葉を生んだ国はないでしょう。
有史以来、私たち日本人の心の動きが、季節、地形、言葉の影響を受けてきたことは言うまでもありません。
すなわち、長い歴史に育まれた言葉の違い、そして文化や伝統の違いこそが国の違いを決定することを改めて痛感します。
さて、暦の上では春であっても、残念ながらわが国の政治はこの30年間、「冬の時代」が続いています。
とりわけ経済面では、ちょうど30年前の1995年11月に当時の大蔵大臣(現在の財務相)であった武村正義氏が「財政危機宣言」を発して以降、日本経済は凋落しています。
因みに、当時の日本政府の国債残高はたったの240兆円でした。
つまり武村大蔵大臣は240兆円で「日本は国の借金で破綻するぅ〜」として「財政危機宣言」を発したわけですが、2024年9月末現在の国債残高は既に1,300兆円(政府短期証券、借入金を含む)を超えています。
なのに未だ日本政府は破綻していません。
なぜなら、破綻するわけがないからです。
前述の通り、私たち日本国民は日本語の民です。
風土に恵まれた日本語の語彙の豊富さが多様な文章表現や抽象表現を可能にしてきたことは言うまでもありませんが、実はその一方で日本語には大きな弱点があります。
それは、長い歴史を通じて抽象表現によって理解する能力や文化を育んでしまい過ぎたがゆえに、政治的な課題解決にあたっては、かえって困難が生じていることです。
例えば「国の借金で破綻する」と言われたら、まずはここで言う「国」とは何か、「借金」とは何か、「破綻」とは何かを具体的に理解しなければならないわけですが、多くの日本人はそれを怠る。
「国の借金」は、正しくは「政府の負債」「政府の国債発行残高」と理解し、「破綻」とは「デフォルト(債務不履行)」のことを指すものと理解すべきです。
そこまで具体的に言葉を定義できれば、日本政府が自国通貨建て(円建て)で発行した国債の償還をデフォルトすることなど物理的にあり得ないことが解ります。
すなわち、政府(財務省)が明らかな嘘をついていることを見抜かねばならないところ、日本語の民は「国の借金で破綻する」という抽象表現で騙されてしまうわけです。
現に、多くの日本国民は「国の借金…」と言われると、すぐに「増税やむなし」「税金の無駄遣いをやめろ」「行政は赤字を減らして収支を縮小均衡させろ」となります。
この30年間にわたり日本経済が凋落したのは、行政予算が小さ過ぎた結果なのに。