「鉄は国家なり…」
これは、19世紀にドイツを統一した鉄血宰相・ビスマルクが遺した有名な言葉です。
わが国では初代内閣総理大臣の伊藤博文が八幡製鉄所の火入れ式で「鉄は国家なり」と述べていますが、むろん、伊藤は欧州を視察した際にこれを学んできたのでしょう。
近代国家にとっての鉄鋼生産量は、国力そのものです。
「製鉄所は多くの雇用を生み出し、地域を支えていたことからそう呼ばれた」と説明する人もおりますが、それだけではありません。
鉄は軍事的戦略物資でもあったからです。
鉄が無ければ戦車や戦艦を作ることができません。
いつの時代でも、軍事力は外交の背景として存在しています。
特に当時は、自前で鉄を生産できない国は苛酷な国際政治のなかで軍事外交面において劣勢にたち、究極的には属国と化したのです。
このように鉄鋼生産を外国に依存するわけにはいかなかったことから、「鉄は国家なり」なのです。
さて、日本製鉄が米国の鉄鋼大手であるUSスチールを買収しようとしましたが、大手鉄鋼会社が外資に買収されることは国家安全保障に関わる問題であることを理由に、米国政府は中止命令を出しました。
これを日本製鉄は不当としバイデン米大統領らを提訴するらしいのですが、わが国のテレビコメンテーターらは「中止命令は自由経済に反する」とか、「経済が政治に利用されている」とか、相変わらずポイントのずれた解説を繰り返しています。
政治家も役人も経済人もマスコミも、すこしは米国様を見習ったほうがいい。
国家の安全保障は自由経済よりも優先するものであるし、経済そのものが政治です。
いつも思うのですが、わが国はこの種の喧嘩が実に苦手な国です。
かつて、ソニーが米国の映画会社コロンビアを買収した時もそうでしたが、買収にあたってのソニーの記者会見は酷いものでした。
あの会見により、返って米国の反日感情をますます煽る結果になってしまいました。
そもそも、日本企業による米国の巨大企業買収が成功したためしはありません。
三菱地所によるロックフェラービルの買収もしかり、松下電気産業(現・パナソニック)によるユニバーサルの買収もしかりです。
その理由の根底には、戦後の日本人の「国際政治」や「安全保障」に対する疎さがあるのではないでしょうか。
それは、日本の水源林が中国人に買収されても何ら対処をしてこなかったことにも通じます。