むかし、豊川信用金庫事件という金融機関の取り付け騒ぎがあったのをご存知でしょうか。
昭和48年12月、電車で登校中の女子高生A子さんが、信用金庫に就職が決まった友達B子さんに対し、冗談で「信用金庫は危ないよっ」と言いました。
A子さんの言う「危ない!」というのは、金融機関には強盗が入るから危険、という意味の冗談でしたが、言われたB子さんは「信用金庫の経営状態は危ないのか…」と真剣に受け止めました。
ひょっとすると、就職が決まった友達への嫉妬心もあったのかもしれない…
帰宅したB子さんは心配のあまり親戚Cさんに「信用金庫って危ないの?」と相談します。
今度は相談された親戚Cさんが、てっきりB子さんの就職先である豊川信用金庫の経営状態が危ないものと誤解します。
その後は伝言ゲームのように話に尾ひれえひれがついて拡散していき、やがては「豊川信用金庫が破綻するらしい…」となり、ついには豊川信用金庫の取り付け騒ぎに発展しました。
これが「豊川信用金庫事件」です。
しかしながら、結論から言うと、豊川信用金庫が破綻することはありませんでした。
まず、金融機関は預かったおカネを又貸ししているわけではないのですが、今なお多くの人々がそう誤解しているように、当時の豊川信用金庫の預金者たちもまた「もしかすると自分の預けた現金が返ってこない」と心配し、こぞって預金を引き出しに行ったわけです。
ただ、昭和46年から「ペイオフ」という預金保険制度が創設されていましたので、もしも金融機関が破綻しても、預金者は元本1,000万円とその利息が完全に保護されます。
よって、預金額が1,000万円以下の人は破綻に怯える必要など全くありませんでした。
むろん、金融機関の金庫には、常に大量の「現金」がストックされているわけではありませんので、預金者が一斉に引き出しに行くことになれば、そりゃぁ金融機関側は混乱します。
それでも金融機関は日銀に持っている「日銀当座預金」を現金化すればいいだけの話なのですが、無から預金通貨を発行している金融機関ですので、すべての預金を現金化するほどに日銀当座預金はありません。
そのときは日銀が緊急的に融資することになるでしょう。
なにしろ政府(日銀)は無から現金通貨を発行できますので、取り付け騒ぎの起きた金融機関を救うことなど簡単です。
いつも言うように、おカネ(貨幣)なんてその程度のものです。
現に「豊川信用金庫事件」においても、日銀はすぐに記者会見を開き、豊川信用金庫の経営状況について「全く問題ない!」としつつ、日銀の名古屋支店を通じて現金手当てを行ったことを表明しています。
それによって豊川信用金庫は破綻することなく、事態は収拾されました。
この事件で実に興味深いのは、世の中には「自己実現的予言」なるものがあるということです。
経営状況に全く問題などなかった豊川信用金庫ですが、「破綻するらしい…」という根も葉もない噂(予言)が拡散されたことにより、本当に取り付け騒ぎが起きて実現してしまったわけです。
この「自己実現的予言」は実に厄介で、わが国の経済財政政策にも影響しています。
例えば、人口の増減と経済の成長は全くもって無関係なのですが、世には「日本は人口が減っているから経済成長しない」という誤解が跋扈しています。
個人も企業も、日本人の多くがそのように思い込んでいるため、投資や消費を抑制することになります。
すると、人口に関係なく経済は成長しない。
現実は、政府が国家予算を抑制し、特に重要な投資を削減してきたために経済が成長していないだけなのですが、人々は「やっぱり人口が減っているから経済成長しないのか」と思い込み、再び投資や消費が抑制されることになります。
こうして「人口が減少するから経済は成長しない」と思っている人たちの予言が的中することになるわけです。
これが「自己実現的予言」です。
昨今、SNS等の発達により、多くの人たちが真実を知り得る機会をもつようになりましたが、それでも全く追いつかず、むしろデマが拡散されることも少なくありません。
世の中とは、うまくいかないものです。