いよいよ大晦日を迎えました。
12月が「師走」と呼ばれるようになったのは、一般的には僧侶が忙しく走り回っていたことに由来するという説のほか、「歳果(としはつ)」や「為果(しはつ)」が変化したことに由来するという説、あるいは四季の果てる月を表す「四極(しはつ)」が語源であるという説などがあります。
個人的には、年(とし)が果てる、が転じて「しはつ → しわす」となった説が由来としてはなんとなくしっくりきます。
一年は果てても、また新たな一年がはじまるという点に、一日一生、輪廻転生といった日本的な仏教観を感じます。
さて、振り返ればことしは、世界的な政権交代の年となりました。
米国の大統領選挙ではトランプ氏が勝利し、再び共和党政権に交代することになりました。
一方、7月に行われたイギリス総選挙では労働党が大勝し、14年ぶりの政権交代となっています。
保守党のスナク政権は、コストプッシュ・インフレや医療水準の劣悪化問題に対して有効な対策を打つことができず、国民の信頼を失ってしまったようです。
あるいはドイツでも、シュルツ首相が自らの積極財政路線に異を唱えたクリスティアン・リントナー財務大臣(自由民主党)の罷免を大統領に要請するなどして連立内閣が崩壊。
翌月には、シュルツ首相の不信任決議案が可決しています。
フランスにおいても、バルニエ内閣が社会保障費を大幅に削減した2025年度予算案を議会で強行採決したことから、やはり内閣不信任案が可決されています。
フランスで内閣不信任案が可決されたのは62年ぶりのことです。
わが国では政権交代が起きなかったものの、総選挙を通じて与党は少数に追い込まれ、躍進した野党勢力に翻弄されています。
これらの根底にある共通点は、すべて財政問題(緊縮財政か、それとも積極財政か)にあります。
そもそも財政支出を拡大せずに、コストプッシュ・インフレを克服することは不可能です。
日本でもそうですが、もしも政府が財政的な措置を採らなかったら、国民生活や事業に欠かせぬ電気代やガソリン価格は高騰する一方です。
にもかかわらず、日本やフランスのように、「財政収支の均衡のほうが大事だぁ…」などと言って財政措置を採らず、むしろ社会保障費などの政策経費を削減してしまえば、そりゃぁ国民が怒って当然です。
なぜか日本の国民はあまり怒りませんが、少なくともイギリス、ドイツ、フランスの国民は怒ったわけです。
国民が怒れば、選挙で選ばれる政治家も動かざるを得ません。
ドイツやフランスで内閣不信任案が可決されたのも、そのためでしょう。
わが国の財務省など、宮沢洋一税調会長たち緊縮派が言っている「財政収支は均衡しなければならない」という思想は、ただのドグマ(教義)です。
財政収支は、あくまでも経済情勢に応じて引き締めたり緩めたりしなければなりません。
優れた経済学者であるL・ランダル・レイは「正常なケースは、政府が赤字財政を運営していることだ」と言っています。
すなわち、レイは「税によって徴収する以上の通貨を供給している状態こそが健全財政であり、政府が黒字化をめざすのは経済がバブル化(過熱化)したときである」と言う。
ゆえに、何が何でも「財政赤字はダメ…」というのはドグマです。
歴史をみてのとおり、ドグマで政治が支配された国は衰退の道を辿るほかありません。
ことしも一年、当該ブログをご愛読賜り、まことにありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ。