今朝、財務省の御用新聞とも言われる『日本経済新聞』に、次のような記事が掲載されていました。
『個人向け国債、5年ぶり高水準 24年4〜12月発行3.2兆円
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA238VB0T21C24A0000000/
1万円単位の小口から買える「個人向け国債」の発行額の前年度超えが視野に入ってきた。2024年4〜12月の発行額は3兆2358億円と前年同期(2兆5931億円)を2割強上回った。すでに23年度の95%に達し、同期間では19年4〜12月(3兆7461億円)以来の高水準だ。本格的な「金利ある世界」の到来を受けて需要が高まっている。(後略)』
日本経済新聞はこれまで、「財政支出を引き締めないと国債金利が上昇し、やがて破綻し国債が紙屑になるぅ〜」と喧伝してきましが、紙屑になるはずの国債が買われているらしい。
すると今度は「国債が買われているのは、これからは金利ある世界だから…」として、「金利が上がる世界だから、財政を引き締めろ!」と言う。
結論は同じじゃねえか。
因みに、辻褄の合わぬ論理は、川崎市の上下水道局ばりです。
さて、財務省であれ、日本経済新聞であれ、彼ら彼女らが決定的に間違っているのは「貨幣観」です。
この種の人たちの貨幣の概念は「商品貨幣論」という主流派経済学が主張する貨幣論です。
商品貨幣論によれば、貨幣とは貴金属のようなその内在的価値ゆえに、交換手段として使われる「モノ」として理解されます。
すなわち、貨幣は支払いの際に受け取られるために貴金属による裏付けを必要とする、という貨幣理解です。
歴史上、政府が自国通貨の裏付けに金や銀の準備を保有していたことがあるのは事実です。
例えば徳川幕府も、佐渡や石見などの金山銀山から金銀(貴金属)を掘り出してきて、それを貨幣にしていました。
そして掘り尽くしてしまったと同時に幕府は急速に衰退していきました。
しかしながら、私が生まれた年である1971年に米国のニクソン大統領がドルと金の兌換を停止して以来(ニクソン・ショック以来)、主権通貨(主権国家の通貨)は貴金属の裏付けを持っていません。
今なお、そうです。
貨幣が貴金属などの「モノ」によって裏付けられてないのに、なぜ人々はそれを貨幣として受け取っているのでしょうか。
商品貨幣論は、この質問に答えられません。
主流派経済学の教科書に書いてある典型的な答えは「貨幣はほとんどの人々が受け取っているから、受け取られている」としています。
これを「共同幻想」などと言う人もいます。
しかしながら主流派経済学は「社会の影響を受けない独立した原子論的個人」を理論の大前提にしているはずです。
共同幻想は、その前提に反しないか。
一方、MMT(現代貨幣理論)は、なぜ貴金属等の裏付けのない貨幣が人々に受け入れられるのかを明確に答えています。
ずばり、それで税金を払えるからです。
主権国家は国民に対して納税を要求し、その支払手段として貨幣を法定しています。
そして、その法定貨幣は「特殊な負債」であるとも言っています。
なるほど日銀券(お札)は日銀(政府)の負債であり、銀行が発行する預金通貨は銀行の負債です。
私たち国民や企業は、日銀券や銀行預金という「負債」により税金を収め、経済的な取引をしているわけです。
なお、お札の元を辿っていくと、国債という政府の負債に行き着きます。
国債発行残高は、政府による通貨発行残高であることの証です。
ゆえに、国債の発行を悪として財政危機を煽るのは愚かな行為です。
主権国家が発行する国債は、返済不要な特殊な負債(貨幣)なのでございます。