世の中を悪くするのは常に「ユートピアニズム」です。
「世の中はこうあるべきだ…」と叫んでるご本人は、ただただ快楽に浸れて気分がいいのでしょうが、現実を無視した政策論は結果として国民を不幸にします。
ゆえに政治には「とはいえ現実はこうだよな…」という謙虚な認識と思考が求められます。
自称「平和主義者」たちは「核兵器廃絶こそが世界平和をもたらす」と主張していますが、現実はどうか。
今から30年前に起きた「ルワンダ虐殺」では80万人以上(一説には100万人以上)もの人たちが犠牲なりましたが、その多くは明らかに棍棒で殺されています。
核兵器どころか、拳銃や刀さえ無なくとも、棍棒だけで人口の2割ちかくもの人々が殴り殺されてしまうのが現実の世界というものです。
こうした現実を直視しつつ、いかにして平和を創出するのかを考えることこそが重要であると考えます。
例えば、ナポレオン戦争以降、第二次世界大戦が終わるまでの約150年間は、クラウゼウィッツの言う「絶対的戦争」の時代であり、そこでは多く、敵国の首都まで進撃し、敵国の領土を我が物にするか、賠償金をせしめて二度と刃向かわないと約束させる方法で戦争を終結させていました。
これを「国家間決戦」ともいいますが、第二次世界大戦終結以降、国家間決戦は世界から消えました。
ロシア・ウクライナ戦争でさえ、国境線を巡る領土紛争であり「国家間決戦」とは呼べず、あくまでも局地戦、制限戦、代理戦です。
さて、ではなぜ「国家間決戦」は消滅したのでしょうか?
その消滅は皮肉にも「核兵器」と「超大国」の出現によってもたらされました。
核兵器を二国以上が持つと、そのうちの二国同士は「共倒れ」になるため国家間決戦ができなくなりました。
核兵器を持たない国同士が国家間決戦ををすることはあり得ましたが、それらの国々に影響力を持つ「超大国」が干渉するためそれもできなくなりました。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争という戦争もありましたが、それらは米・ソ二大国のコントロール下の局地戦、制限戦、代理戦であり世界大戦とはならず、核兵器が使われることはありませんでした。
20世紀初頭、第二次世界大戦の犠牲者は6000万人以上にものぼりますが、米・ソ二大国時代(冷戦時代)の犠牲者数は20世紀初頭の3分の1程に減りました。
1991年のソ連崩壊以降は超大国は米国のみとなり世界秩序はより安定的なものとなって戦死者数はさらに少なくなりました。
この一極秩序が緩み再び二極あるいは多極・無極に戻るのではないかというのが現世界秩序(平和)維持上の問題点です。
もうひとつ、国家間決戦のストッパー機能を果たしてきたものは「核の不拡散」です。
核の拡散こそ、現世界情勢における最大の脅威であると言っていい。
むろん、廃絶は不可能です。
考えてみてほしい。
たとえ核兵器を廃絶することができたとしても、核兵器をつくる技術を廃絶することはできない。
現実を見据えて平和を追求するほかありません。
福沢諭吉の言葉どおり、政治とは最も悪くないものの選択なのですから。