きのう、日本国際空手協会が主催する『JIKA全日本空手道選手権大会』が開催されました。
第6回目の大会となった今年は「国立競技場代々木第2体育館」において行われ、大会顧問を仰せつかっている私もお邪魔させて頂き、開会式で一言だけ挨拶をさせて頂きました。
挨拶をさせて頂きながら選手の皆さんのお顔を見渡しますと、やはり試合前ということもあって多くの皆さんが緊張感に包まれ強張った表情をなされておられます。
私も子供のころからスポーツをやってきましたので、試合前の緊張感や不安感はよくわかります。
それも、大きな大会となれば尚更です。
子供のころ(選手として開会式に臨んだとき)、来賓の挨拶の内容などまったくもって耳から入ってこなかったことをよく覚えています。
「どうでもいいから、はやく終わってくれっ…」と思いながら聞いていたものです。
なので、そんな選手たちの心情を察して、私の来賓挨拶はいつも本当の「一言」で終わります。
さて、『JIKA全日本空手道選手権大会』の大会顧問を仰せつかっているものの、私には空手の経験はなく、ずぶの素人です。
ただ、武道であれスポーツであれ、緊張感や不安感は必要だから在ることを理解しています。
もしも緊張感が全くなければ、人間は技術や能力を最大限に発揮することができません。
なので、選手に対して「緊張するな」という指導は間違っています。
緊張感や不安感は本能レベルでの感情なのですから、けっして悪ではない。
緊張感や不安感を悪とするのは、「本能は悪で理性こそが絶対に正しい」とする忌まわしき「合理主義」です。
合理主義に基づく指導や教育は必ず失敗します。
本質的な問題は、その緊張感や不安感をどう使うか、です。
本能は「緊張感を利用して正しく行動せよ」と命令しているのでございます。
つまり、どんなに上等なテクニックを身に着けたところで、緊張感をうまく活用できなければいざというときに使えません。
宮本武蔵の『五輪書』にも、そのことが書いてあります。
『五輪書』を読みますと、剣道、柔道、弓道、空手道、居合道、合気道、相撲道、書道、茶道、華道、香道、これらすべてに「道」がついている理由がよくわかります。
少なくとも、武道家なら必読の書です。
なお、戦後日本の公教育が成果を上げることができないのは、合理主義に基づいた教育が行われているからです。