ミッドウェーの敗北に学ぶ(前編)

ミッドウェーの敗北に学ぶ(前編)

戦後、我が国では、義務教育課程において「平和教育」という、いわゆる反省史観を子どもたちに植え付けてきた。

むろん私もそうした教育を受けた世代です。

しかしその「反省」は、なぜ日本は負けたのかの反省ではなかった。

ひたすら「日本は侵略国家だった」とか「原爆は悲惨だった」とかに終止した。

ゆえに戦後生まれの多くは、大東亜戦争に至った経緯や敗戦要因など知る由もない。

しかしそれでは真の意味で「歴史を反省している(教訓にしている)」とは言えない。

例えば、大戦の分水嶺となったミッドウェー海戦での日本海軍が犯した数々の失敗から、現代を生きる私たちが学ぶべきことは実に多い。

その一つは当時の日本海軍が驚くほどに情報を軽視していたことです。

軍事行動の基本は、まずは情報、警戒監視、偵察の3つですが、ここでいう情報には「収集」「分析」「工作」「管理」が含まれます。

4月5日から9日にかけて日本海軍は、インド洋での作戦でイギリスの重巡洋艦2隻と空母1隻を撃沈しました。

いわゆるセイロン沖海戦です。

海戦を終えインド洋から戻ってくる少し前のこと、即ち昭和17年4月18日に首都東京(川崎も)が爆撃されました。

アメリカ陸軍機ノースアメリカンB25(16機)よりなるドーリットル爆撃隊が飛んできてパラパラと爆弾を落としシナ大陸に逃げていったのです。

「初戦は勝ち続けていたとはいえ、敵に首都東京が空襲されるとは何事か!」ということになり、慌てて計画されたのがミッドウェーの攻略です。

しかしながら米国は、日本海軍が太平洋のいずれかの基地を攻撃してくるとを事前に察知していました。

このころ米国は日本海軍の暗号の解読にほぼ成功していました。

海戦のおよそ3週間前(5月13日)、米国は大本営が太平洋を航行する航空機運搬艦・五州丸に送った通信を傍受し、暗号を解読したところ「基地設備と兵員を乗せAFに進出せよ」という暗号であることがわかりました。

即ち、日本海軍の攻撃目標が「AF」であることをつかんでいたのです。

ただ、AFがどこの場所(基地)を指しているのかがわからなかった。

さらに暗号解読したところ、AFはミッドウェー島か、もしくはミッドウェー島から南1000キロに位置するジョンストン島のどちらかであることをつきとめました。

そこで米国の暗号解読班は一計を案じ、ミッドウェー島からハワイ基地に向け、おとりの暗号化されていない平文電報を出させました。

『ミッドウェーは真水が不足している』

むろん、偽情報です。

それを傍受した日本海軍はその策略にまんまと嵌まり、暗号化して本国に打電してまいました。

『AFは真水が不足している…』

日本海軍の攻撃目標であるAFがミッドウェー基地であることが確実になったわけです。

平文電報を傍受したのだから、本国にもそのまま平文電報で打電すればよかったのに…

このころ日本海軍は既に暗号が解読されていることに気づきませんでした。

しかも陸軍から「海軍は暗号を変更したほうがいい」と忠告されていたにもかかわらず、それを無視し続けていました。

因みに、陸軍の暗号は最後まで解読されていません。

なんと陸軍が海軍の暗号解読に成功し、そのことを海軍に伝えてもなお我が国の海軍は暗号を変えようとしませんでした。

まさに組織的怠慢であるとともに情報軽視の極みです。

その後(5月27日)、米国側は日本海軍の攻撃日が6月4日であることまで特定しています。

チェスター・ニミッツ米太平洋艦隊司令長官は、ミッドウェー基地に爆撃機、戦闘機、対空砲を大幅に増強し、南太平洋にいた主力空母3隻を急遽ハワイに呼び戻し戦いに備えました。

なお、5月7日の珊瑚海海戦で中破した空母ヨークタウンは、当初は修理に90日を要するとされていましたが、ニミッツ長官は突貫工事を命じ、わずか3日での応急措置でミッドドウェー海戦に間に合わせました。

なんと米国側は日本海軍のミッドウェーまでの進撃ルートまでほぼ把握していましたので、日本海軍によるミッドウェー攻略のほぼ全容が既に相手の手の内にあったことになります。

手ぐすねを引いて待っている敵のもとへのこのこと出張っていき、奇襲しようとしていた日本海軍が逆に奇襲されることになるわけです。

明日につづく…