きのう、岡田准一さん主演の映画『海賊とよばれた男』を観ました。
岡田さんが演じた主人公(国岡鐵造)のモデルとなったのは、出光興産創業者の出光佐三です。
私は百田さんの原作を読んでいなかったものの、出光佐三の偉大さは知っていたので鑑賞しながら涙が止まりませんでした。
映画にも出てくる「士魂商才」という言葉は渋沢栄一が作った言葉ですが、出光佐三はそれを実践された偉大な経営者です。
例えば出光佐三は、どんな経営難に見舞われても社員の首を切ることはありませんでした。
なぜなら、佐三にとって社員は家族同然だったからです。
社員を道具としかみない人材派遣事業で儲けまくる竹中何某とはえらい違いです。
そして何よりも映画で最も強調されていたことですが、出光佐三は絶対に長いものには巻かれない。
いかなる困難が行手を阻もうとも、まさに海賊のように活路を見出して突破していく。
英国海軍を出し抜いてイランから石油を輸入した日章丸の話などは、まことに痛快です。
「石油」を国の血液だと認識していた出光佐三は、国の血液を国際メジャーに依存しているようでは独立国にはなれないと考えていました。
しかし、今なお世界の石油は国際メジャーと呼ばれる大資本によって支配されています。
国際メジャーとは、石油の探査、採掘、生産、そして石油製品の輸送や販売に至るまで国際石油カルテルを形成できるほどの支配力をもった資本のことです。
現在では、ウォルマート、シェル、エクソンモービル、BPなどが代表的な国際メジャーです。
大東亜戦争の敗戦直後、つまりGHQの占領下にあった我が国では既に外資による搾取がはじまっていました。
当時の国際メジャーは、日本を敗戦国だと舐めてかかって見下し、高値で粗悪なガソリンを日本企業に売りつけて暴利を貪っていたのです。
そして残念ながら、国内の石油企業もまた国際メジャーという長いものに巻かれていきました。
日本石油はカルテックス、東亜燃料はエクソン、三菱石油はテキサコにという具合に、次々と国際メジャーに呑み込まれていきました。
世界から「日本の石油市場は終わった…」と言われたわけですが、敗戦国民となった日本国民の誰もが、ただただ指を咥えて傍観することしかできなかったのです。
ところが、出光佐三だけは違った。
一企業の経営者にすぎなかった出光佐三ですが、彼は「このままあきらめれば、日本は国際メジャーの食い物にされてしまう」という危機感を抱き、「一刻もはやく、安くて良質なガソリンを日本人に届けてみせる!」との意気込みで国際メジャーと対等に勝負することを決意します。
言うは易しですが、当時の日本でガソリンを自由に販売することは困難でした。
そこで佐三は、莫大な先行投資をして「日章丸」という大型タンカーを建造し、なんとそのタンカーで米国に直接買い付けにいったのです。
昭和26年、煙突に日の丸が描かれた巨大タンカー「日章丸」がサンフランシスコ港に到着したとき、サンフランシスコの住民たちは「まさか、あの敗戦国が自前のタンカーでガソリンを買い付けにきたのか!」と度肝を抜かれたらしい。
日章丸はおよそ5000キロリットルのガソリンを積んで日本に戻り、佐三は「アポロ」の商標でガソリンを売りました。
アポロガソリンは品質の良さと安さでたちまち大評判となり、当時「箱根の山も、出光のガソリンがあれば怖くない」などと言われたそうです。
ところがその直後、なんと出光の取引先(輸入先)が次々に取引の中止を申し出てくることになります。
むろん、国際メジャーによる差金です。
石油を輸入できなければ、そこでジ・エンドです。
それでも出光佐三は諦めない。
今度は、イランに目をつけます。
イランは当時、世界の13%もの石油を保有する巨大産油国でしたが、英国から独立したばかりで、石油を国有化したものの英国と抗争中でした。
佐三はその好機を逃さず、第三者を介してイラン政府との交渉に成功し、貿易が成立する方向で動き出します。
ところが、またしても国際メジャーの圧力がかかります。
「日本に石油を渡してたまるか…」と言わんばかりに、英国海軍が海峡を封鎖して出光とイランとの貿易を妨害してきたのです。
「いかなるタンカーであっても撃沈するぞ」という警告まで発せられました。
一歩まちがえば日章丸は撃沈され、乗組員たちは命を落とします。
それでも出光佐三はあきらめず、日章丸を出航させます。
それは海賊と呼ばれた男の意地であり、士魂商才に基づく決断だったと思います。
あとはぜひ、映画をご覧ください。
士魂なき政治家たちも絶対に観たほうがいい。