我が国では「財政破綻論」なる在らぬ脅威が政治的に演出され続け、この30年にわたり「緊縮財政こそが正義」という誤った政治が行われています。
緊縮財政とは、①財政収支の縮小均衡、②新規国債の発行抑制(残高縮小)のことを指します。
ことし新年早々に能登半島で大震災が発生し、あれだけの被害が出ているにも関わらず、我が国の政府は補正予算(復興予算)を組むことなく、未だに予備費で対応するという異常事態が続いていますが、それも「緊縮財政こそが正義」と考えているからです。
むろん、緊縮財政は正義などでも何でもない。
政府の緊縮財政が正当化されるのは、景気が過熱化して物価が急上昇した局面(デマンドプル・インフレ)においてのみです。
過熱化した景気を放置しておくと余剰資金が株や土地に流れてバブルになり、やがては壊滅的に弾けます。
歴然たる事実として、我が国は1997年以降、デマンドプル・インフレを一度も経験しておらず、愚かなる緊縮財政を行ってきたことでデフレを常態化させ、経済力の虎の子となる供給能力をひたすら毀損し続けるとともに、社会の中核を成す中間所得層を完全に破壊してしまったのです。
昨今はソーシャルメディアの普及もあって、緊縮財政批判をする政治家が一部で現れはじめていますが、まだまだ政界では少数派です。
石破総理も原則的には「緊縮財政派」なのですが、総裁選あたりからなんとなく積極財政派っぽい発言をしはじめました。
国民の大半は積極財政を望んでいることを、きっと肌感覚では理解されているのでしょう。
案の定、総選挙中に次のようなニュースが入ってきました。
『経済回すため思い切った補正予算組むと首相
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7913652dc4b4bb0c79d13e2ef501cd46eaa40d3
石破茂首相は16日、徳島県板野町で街頭演説し「日本の経済を回し、国民生活を豊かにするために思い切った補正予算を組む」と述べた。』
おそらく最初から、選挙中に補正予算に言及する腹づもりだったのでしょう。
とはいえ、これだけで自民党の逆風が弱まるとは思えませんが…
報道によれば、一般会計の総額で約13兆円だった昨年度の規模を上回る規模にするとのことです。
補正予算の目的について石破総理は「経済対策の裏付けとして…」と言っていますが、ことしは昨年と異なり能登半島地震が発生しておりますので、復興対策を含めれば13兆円では全く足りない。
また、石破総理が13兆円を上回る規模にする考えを示したこと受け、日本商工会議所の小林会頭は「今までのように一概にばらまくという形ではなくて、メリハリの利いた支援をしてもらいたい」と述べていますが、「ばらまく」とは何なのでしょうか。
このように、言葉の定義を明確にしないまま、いかにもご尤もらしい発言をする人間を私は軽蔑します。
何が「ばらまき」で、何が「ばらまき」でないのかを言ってみよ。
先日の川崎市議会(環境委員会)でも、「無駄」という言葉を使って答弁した職員がいたので、私が「無駄を定義してほしい」と問いただしたら黙ったままでした。
小林会頭をはじめ、この種の人たちは基本的に誤った貨幣観をもつ「緊縮財政脳」なのです。
しかしながら、デフレ期においては、とにかく政府支出を増やさなければならないし、一日も早く被災地を復興するために政府の支出を躊躇ってはならない。
何度でも言います。
政府の支出に、予算的・資金的な制約はありません。
経済対策予算であれ、復興予算であれ、そのための財源を民間から調達する必要もありませんし、税収に求める必要もありません。
このように言うと「そんなバカな…」と思われるかもしれませんが、むろん、政府が財政支出を無限に行うことは不可能なのですが、政府が資金的な制約に縛られていないのは歴然たる事実です。
政府の財政支出を制約するものは、ヒトやモノといった実物資源の利用可能量だけです。
この「実物資源の利用可能量」を毀損しているものこそが、緊縮財政によってもたらされているデフレです。