川崎市が市立図書館を民営化するのをご存知でしょうか。
正確には「指定管理者制度」という制度を使って、指定した民間事業者に低予算で市立図書館の管理運営を丸投げします。
「低予算で…」というのが肝です。
むろん、低予算の皺寄せは、主としてそこで働く職員さんたちの給料引き下げに向かいます。
「それでもサービスは向上しますから…」と、川崎市の教育委員会は悪びれることなく言い張る。
今までよりも給料を安くしておきながら、今まで以上にサービスを向上させるとは、どんだけブラックな労働環境の図書館なんでしょうか。
今年2月の川崎市議会(文教委員会)の質疑で私が明らかにしたように、本市教育委員会は図書館を本の無料レンタル屋さんと同等に考えています。
要するに川崎市(教育委員会)は「図書館なんて本の無料レンタル屋なんだから、べつに民営化してもいいじゃないか…」と言いたいわけです。
しかしながら民営化(プライバティゼーション)とは、私物化を意味します。
ぜひ、Google翻訳で「私物化」と入力してみてください。
「Privatization」と英訳されます。
そもそも、図書館は国民に対して学問の自由、思想の自由、表現の自由を保障する公的施設です。
そのような施設が私物化されていいわけがありません。
もともと本市教育委員会の図書館軽視は歴史的なもので、例えば図書館法は、公立図書館を運営する各自治体に対し「図書館協議会」の設置を義務付けていますが、本市教育委員会は平成10年までの48年間、それを設置していませんでした。
それでも本市教育委員会は「それに変わり得るものはあった…」と言い訳をしていますが、図書館協議会が設置されなかった理由について私が議会で質問しても、公文書が残っていないためにその経緯についてはわからないとのことです。
今朝の読売新聞(神奈川版)が報じているように、本市教育委員会が民営化導入を「保留」から「導入」に転じた経緯を示す公文書が存在しないことが明らかになりました。
これでは、政策決定過程を検証することができません。
公文書管理に関する川崎市の杜撰さは天下一品で、公文書を偽造しても口頭注意などの軽い処分、教育委員会に至っては教員の出勤を証明する公文書が存在せずとも、同僚の証言を以って出勤と認めてしまう有様です。
ちなみに、先日も本市の上下水道局では、市長を貶める公文書を作成した職員よりも、そのことを公益通報した職員に、より重い罰(懲戒停職)が下されています。
文書主義の行政にとって公文書の適正管理は極めて重要です。
なぜなら「公文書」は、時に暴力的とも言いうるほどの物理的な権力行使を可能にする途轍もないパワーを持っているからです。
国の官僚がその気になれば、公文書を偽造して戦争を引き起こすことだって可能です。
例えば、よくご存知の「逮捕状」という公文書は、警察権力を動かし、ひとりの人間の自由を拘束し、場合によって死刑にすることすらできるほどの強烈なパワーを持っています。
今回の静岡県警の事例は、まさに典型的です。
あるいは、私たちのお財布に入っている日本円(日銀券)もまた、日本銀行が作成した公文書にあたります。
日銀券という日本銀行作成の公文書を手にすることで、世に売り出されているものであれば、物であろうとサービスであろうと、何でも入手することが可能となります。
言うまでもなく、そのパワーの源は政府(行政)です。
つまり公文書は、政府(行政)という強力な実力組織を動かす「命令書」であると言っていい。
ゆえに、そうした公文書を「偽造」したり、都合の悪い公文書を「廃棄」したりする行為は、実に恐ろしくあってはならない行為なのです。
もしも国の役人が公文書を偽造すれば、「1年以上10年以下」の懲役という重い罪を負うことになるのはそのためです。
ただ、国の法律にも問題があります。
地方自治体の公文書保存の対象と期間については、それぞれの自治体の判断に委ねています。
政府はもちろんのこと、地方自治体の「あらゆる公文書」についても長期保存を義務化すべきです。
そして国の安全保障に支障がないかぎり、全て公開対象にするべきです。