デフレを前提にインフラを縮減する愚

デフレを前提にインフラを縮減する愚

1995年以来、財務省は「このままでは日本政府は財政破綻する…」というプロパガンダを使って国民を騙し、財務省の省是である「緊縮財政」を正当化してきました。

緊縮財政とは、①財政収支の縮小均衡、②国債発行の抑制のことです。

結果、我が国の防衛費は伸びないまま、軍事費を伸ばしてきた中国との軍事格差は決定的に拡大し安全保障を弱体化させた一方、国民の命を守るための公共事業費は減らされ、地域行政を推進するための地方交付税交付金も減らされ続けてきました。

何より、1997年には急激な歳出抑制政策に舵を切って日本経済をデフレ化させ奈落の底に突き落とし、以来27年間にわたり今なお我が国はデフレ経済の中にあります。

いつの時代でも、デフレ経済は「バブル崩壊」と「政府による緊縮財政」によってもたらされます。

1980年代後半、日本経済はバブルに浮かれ、多くの企業が借金をしてまで株式や土地に対して投機的にカネを注ぎ込んでいました。

ところが、1991年にバブルは崩壊。

株や土地にカネを注ぎ込んできた企業のバランスシートは一瞬にして債務超過となりました。

バランスシート上の負債を縮減するため、多くの企業は投資や人件費などの支出を抑制し、ひたすら借金の返済に勤しみました。

世の企業が一斉に支出を抑制したことで総需要(主として消費と投資)が急激に落ち込んだわけですが、これをリチャード・クー氏は「バランスシート不況」と呼びました。

それでも、1996年までの日本政府は企業に代わってそれなりに歳出を拡大していたため、日本経済はなんとか成長を維持することができました。

消費と投資が落ち込んだ以上、それに代わる需要を創出することができるのは政府という経済主体だけなのです。

ところが、1995年11月に当時の村山内閣が財務省の差金によって全くもって不必要な「財政危機宣言」を発し、翌年に発足した橋本内閣が1997年度から緊縮財政を断行してしまいます。

繰り返しますが、バブル崩壊によるバランスシート不況状態の中で、政府が緊縮財政を行えば必ずデフレに突入します。

元禄バブルが弾けた江戸時代においても、8代将軍(徳川吉宗)による緊縮財政によって享保デフレが惹き起こされました。

幕府が衰退しはじめたのはその頃からです。

いつのも世でも、デフレは庶民の政府(幕府)に対する鬱屈とした不満を増長させます。

それが幕末になると、「ええじゃないか」運動となって一気に噴出したわけです。

デフレという概念がなかった江戸時代は仕方ないにしても(勘定奉行・荻原重秀だけは理解していた)、デフレ経済が国家や国民に与える深刻さが既に証明されている現在においても、政府がデフレを放置しているのは全くもって異常です。

デフレは国力の衰退であり、国民の貧困化です。

我が国の政治行政の世界には、それを理解していない人が多すぎます。

川崎市などは、愚かにもデフレ経済を前提にして工業用水の供給能力をなんと4割もダウンサイジング(規模を縮小)します。

石破内閣も川崎市に負けず劣らず「成長しない日本」を前提にしているらしいが、自国通過建てで国債を発行できる日本政府がデフォルト(債務不履行)に陥ることなどあり得ないのですから、政府がデフレ脱却のための歳出拡大政策に転換すれば日本経済が再成長するのは充分に可能です。

昨今のSNSの普及もあって、財務省による「財政破綻論」の神通力が衰え出したため、財務省は新たなプロパガンダを打ち立てています。

それが、「金利ある世界」プロパガンダです。

「これからは金利が上がるから国債の利払費がかさみます。だから緊縮財政が必要だ…」と。

7月31日の日銀による利上げは、「金利ある世界」を演出させるための財務省の差金だったとも言われています。

因みに、国債の利払費は長期金利の話である一方、日銀が利上げしたのは短期金融市場の話ですので、日銀の利上げで国債の利払費が嵩むことはありません。

因みに、もしも長期金利が上がりはじめたのだとしたら、それは日本経済がデフレを克服して経済成長しはじめた時です。

それで何か問題でもあるのでしょうか?

1980年代の好景気時の長期金利は5〜6%でした。

つまり、どうしても「金利ある世界」にしたいのであれば、政府は財政支出を拡大してデフレを克服することが先決です。