日本人は祭祀の民

日本人は祭祀の民

本日、令和6年9月17日は、我が国の正暦(太陰太陽暦)の8月15日にあたり中秋です。

ご承知のとおり、「中秋の名月」と呼ばれるようにお月様が一番綺麗に見える日です。

この日、古来より私たちの祖先は「十五夜」を愛でつつ、自然祭祀と祖先祭祀を行ってきました。

自然祭祀とは、その名のとおり「自然の美しさと自然の恵みに感謝するお祀り」であり、祖先祭祀は「祖先の営みに感謝するお祀り」のことです。

これらは宮中行事としてはじまったわけですが、時代は令和へと移り変わってもなお、秋分の日には宮中(皇居)において秋季皇霊祭(皇居にある皇霊殿で行われるご先祖祭)と秋季神殿祭(皇居にある神殿で行われる神恩感謝の祭典)が行われます。

天皇陛下とは、常に私たち日本国民の安寧をお祈りなさってくださる尊い祭祀王(大神主)なのでございます。

お月様を愛でて自然祭祀と祖先祭祀を行ってきたのは我が国だけですが、実は月見の自然祭祀と祖先祭祀は、この日だけではありません。

翌月の正暦9月13日(グレゴリオ暦10月15日)にも「十三夜」を愛でて自然祭祀と祖先祭祀を行ってきました。

正暦9月15日の満月と同じように13夜の月が綺麗と感じるのは、古人(いにしえびと) の鋭い感性ですね。

因みに、我が国では「お月見」だけでなく「お花見」も行われますが、お花見で出てくる三色団子は、一番上の桃色の団子は桜のつぼみで、次の白色の団子は満開の桜、最後の緑色の団子は花が散った後の葉桜です。

この三色団子を発案したのは、豊臣秀吉らしい。

「花より団子」という言葉ができたのも、ひょっとすると秀吉の庶民感覚に由来するものなのかもしれません。

私ども政治行政の世界に携わる者にとりまして、秀吉から学ぶことは実に多い。

さすがに信長ほどではないにしても、彼ほど土木(インフラ)や都市計画に精通し、またその重要性を理解していた戦国武将はいなかったし、北野の大茶会のような公共行事を開催することで身分を問うことなく庶民たちに文化に親しむ機会を与えることも怠りませんでした。

また、九州では、宣教師やキリシタン大名たちによって日本人たちが奴隷として海外に売られている実態を目の当たりにし、直ぐに「バテレン追放令」を発してキリスト教を禁教しました。

キリシタン大名として有名な大村純忠や有馬晴信らが嬉しそうに神社仏閣を壊しまくっていたわけですから、それをみて秀吉が危機感を抱いたのも当然です。

その点、クルド人たちが不法に暴れ回っても、「多文化共生が大事だぁ」などと言って危機感の欠片もない今の政治家や首長たちとは大違いです。

GHQやGHQに洗脳された人たちは、「日本人が好戦的なのは神道のせいだ…」みたいに言いますが、話は全く逆です。

私たちの先祖の多くは自然災害によって命を失っている一方、大陸圏やキリスト教圏においては、その多くは戦争や紛争によって命が奪われてきました。

ゆえに我が国では、他国以上に自然と祖先をお祀りする祭祀の習慣が根付いたわけです。

古今東西、世界では宗教を理由にした戦争や紛争は絶えませんが、少なくとも我が国では祭祀を理由にした戦争や紛争は起きていません。

すなわち、宗教は人を殺すが、祭祀は人を殺さない。

本来、我たち日本人は祭祀の民です。

しかしながら、西欧的合理主義と占領憲法に洗脳された人たちが圧倒的多数を占める昨今、今や祭祀の民では無くなりつつあります。