いよいよ今日、岸田総理の後継を決める自民党総裁選挙が告示されます。
すでに9人が立候補を表明していますが、これまで最も多かった候補者数は5人でしたので、今回はそれを大きく上まわり過去最多となります。
さて、日本と米国には議院内閣制と大統領制の違いがあるものの、自民党総裁選と国会における首班指名選挙との関係を政治学的にみますと、意外にも米国の大統領選挙とよく似た構造であることが分かります。
自民党内での選挙とはいえ、党員は水増し分を含めて、これまでのコアの保守層(便宜上、保守と言っておきます)ばかりではありません。
内部情報によれば、外国籍住民はもちろんのこと、共産党員や創価学会員も自民党員として潜り込んでいるらしい。
どこの政党でもそうですが、党員登録する際に戸籍や誓約書を提出させるわけにもいきませんので、それは仕方のないことでもあります。
要するに、おカネさえ払えば誰でも党員になれるわけです。
自民党総裁選挙では、党員票よりも国会議員票に重みがつけられているのはそのためでもあるのでしょう。
そうした事情もあって、各候補者の支持率は党員による支持率と世論の支持率がほぼ一致しています。
潜り党員や名前を貸しただけの党員がいる上に、コアな自民党員であったとしても、その意識はほぼ国民の縮図に等しいでしょうし。
その上、所属議員のほとんどは足して2で割ったような考えの持ち主ばかりで、所詮は「リベラル」と同じです。
総裁選挙では「衆院総選挙で勝てる看板」が選ばれるという組織論理があるにしても、各候補者の支持率がほぼ国民全体の支持率に近いとなりますと、自民党というのは「国民の縮図構造」ということになり、総裁選挙を予備選挙として総裁を選び、本選挙の国会でこれを承認するという、まさに米国の大統領選挙制度に近しい構造になっているともいえます。
自民党は決して伝統保守の政党ではありません。
戦後特有の敗戦利得者保守の政党であり、それが国民全体の雛形になっているわけです。
自民党は結党時から一応は「自主憲法制定」を唱えていますが、それはあくまでも現行憲法(占領憲法=マッカーサー憲法)の改正論に過ぎず、それでは真の独立は果たせません。
また、自民党は常に政権党としての利権を維持することを最大の目的としてきた政党でもあります。
それでも安部総理の時には「保守風味」の議員が多数派を占めていましたが、今回の総裁選候補の顔ぶれをみますとほとんどの候補者がリベラル、ないしはリベラル容認ですので、いまの立憲民主党と何ら変わりはありません。
立憲民主党との違いを強いて言えば、共産党との距離感でしょうか。
とはいえ、そんなものは相対的な違いに過ぎず、共産党が嫌いであっても、地方では自共が共同して推薦する首長も誕生していることから、違いが解らぬまま、それまでの経緯と惰性で自民党を支持しているという自民党員が圧倒的ではないでしょうか。
今日、告示される自民党総裁選挙により日本の政治が良い方向に向かう期待など一向に持てませんが、我が国の指導者を決める選挙ですので、一人の日本国民として注目せざるをえません。