日本最大の不動産会社といえば、むろん三菱地所。
その三菱地所が、東京駅に程近いエリア(常盤橋付近)で進めている「常盤橋プロジェクト」というのをご存知でしょうか。
常盤橋付近とは、日本銀行のある日本橋エリア、東京駅の八重洲エリアや丸の内エリアという3つのエリアに囲まれた比較的小さなエリアです。
当該プロジェクトは、1963年に完成し東洋一のオフィスビルと称された日本ビルヂングなど、複数のオフィスビルを再編する再開発計画で、すでにA棟と呼ばれる「常盤橋タワー」は竣工されており、2023年9月からは当該プロジェクト最大となるB棟(トーチタワー)の建設がはじまっています。
トーチタワーは2028年3月に完成する予定で、低層階には商業施設、中層階にはオフィス、高層階にはホテルや賃貸住宅、最上階には展望施設が整備され、その高さはなんと385mを誇ります。
ちなみに385mは昨年に完成した麻布台ヒルズの「森JPタワー」を超える高さであり、完成すれば日本最高層のビルとなります。
今年のお正月、たまたま近くを通りがかったときには未だ「山留め作業」が行われている様子でしたが、今はどうか。
さて、常盤橋という地名ですが、この辺りで「橋」の名称が付いていることからもわかるように、江戸城のお堀(外堀)の一部であった人工河川(日本橋川)に架かっていた橋の一つが常盤橋で、橋は時代とともに姿を変えながらも今なおこの地に遺っています。
江戸時代、常盤橋には江戸城の門があり(常盤橋御門)、現在でも門の土台となる石垣が保存されています。
石垣は結構な大きさ(高さ5m)で、江戸城に多数存在した門の中でもかなり大きい方です。
例えば、桜田御門や田安御門、あるいは赤坂御門や四谷御門など江戸城を代表する門と比べても遜色のない大きさです。
現代では無名の橋が、なぜこのような巨大な規模を誇っていたのかが実に気になるところです。
江戸城の防衛網は、城の内郭を囲う内堀と、外郭をも囲いこむ外堀によって構成されていました。
そしてそれらの堀には大小90あまりの門が設けられていたわけですが、多数の門の中で、それぞれ内堀・外堀に一つずつ代表的な門、即ち正門が定められていました。
内堀の正門が「大手門」であったのに対し、外堀の正門がなんと「常盤橋御門」だったのです。
江戸城の表玄関だったのですから、大きいのも当然です。
常盤橋御門の内側には、徳川幕府において地位の高かった譜代大名の屋敷が建ちならび、現在の警視庁にあたる北町奉行所、あるいは現在の最高裁判所にあたる評定所もあったことから、常盤橋御門の重要性がわかります。
そんな常盤橋御門も幕府の終焉をもってその役割を終え、今は石垣のみが遺されているわけですが、都市の再開発によって再びプチ注目を集めることとなりました。
なにしろ江戸東京は400年以上もの歴史を持つ首都ですので、街のあちこちに歴史的遺産がころがっています。
ぜひとも、歴史と共存する再開発を進めてほしい。
それにつけても、東京駅付近の再開発は目まぐるしい。
先日(8月26日)も東京駅八重洲口エリアでは、「八重洲2丁目中地区第1種市街地再開発事業」の起工式が行われています。(工事は8月8日から着工)
当該再開発は、東京駅前3地区再開発(八重洲口1丁目東地区、東京ミッドタウン八重洲、八重洲2丁目地区)の最後にして最大規模の開発となります。
すでに全面開業している「東京ミッドタウン八重洲」だけでも、年間1000万人の集客目標を立てています。
ご承知のとおり、横浜市もまた「横浜駅西口」や「みなとみらい」などに官民合わせて大規模な投資を行なっています。
一方、川崎市は福田市政に代わって15年間、集客力に利するための、これといった新たなインフラ投資計画がなく、全て過去(阿部前市政)の遺産で食っています。
交通インフラが充実する東京都や横浜市であれだけの投資が行われているにもかかわらず、交通インフラの脆弱な川崎市が投資をしない。
これでは勝てるわけがない。
このままでは再び、東京と横浜との間で埋没しかねない。