主流派経済学の貨幣概念は「商品貨幣論」です。
商品貨幣論とは、貨幣は貴金属のようなその内在的価値ゆえに交換手段として使用される「モノ」である、という仮説です。
ゆえに彼らは「モノである以上は、おカネの発行には上限があるし、ましてや政府の財政支出にも制約があるのだ」と主張するわけです。
三橋貴明先生はこれを「貨幣のプール論」と呼んでいます。
もしもプールの底のおカネが尽きたら「The end…」ということか、と三橋先生は揶揄しているわけです。
貨幣の歴史を紐解きますと、たしかに政府が自国通貨の裏付けに「金」や「銀」の準備を保有していた時期があります。
しかしながら、例えば私が生まれた1971年にドルと金の兌換が停止されてからというもの、主権通貨は貴金属の裏付けを持っていません。
あれから50年が過ぎようとしています。
もし貨幣が貴金属のようなモノによる裏付けを必要とするのであれば、どうして私たちは現在においてもなお円やドルを貨幣として使用しているのでしょうか。
ところが、この質問に商品貨幣論が答えることは困難です。
結論から言えば、貨幣は支払いの際に受け取られるためとはいえ、べつに現代貨幣は貴金属による裏付けなど必要としません。
商品貨幣論の対局にある貨幣論は「信用貨幣論」です。
信用貨幣論によれば、貨幣は交換手段として受け入れられる特殊な「負債」です。
即ち、それを発行した人にとっては負債であり、それを手にした人にとっては資産となります。
なるほど昨年に配られた特別定額給付金もそうでした。
政府が国民ひとりあたり10万円の負債を発行してくれたからこそ、私たち国民は10万円の資産を手にすることができたわけです。
むろん政府は「金」や「銀」などの貴金属を裏付けとして給付したわけでもありません。
なおここからが大事ですが、政府は特別定額給付金を給付するためにつくった「負債」を返済する必要も義務もありません。
巷には「せっかく特別定額給付金や協力金をもらっても、やがては税金として徴収される」などと喧伝している人たちがおりますが、明らかなデマです。
政府債務残高は増えることは確かですが、やがて経済を成長させることができれば政府債務対GDP比が低下していきますので何ら問題にはなりません。
ナポレオン戦争後のイギリスでは政府債務残高対GDP比(当時はGNP比)が280%にまで達しましたが、べつにイギリス政府は破綻もしていませんし、借金の返済などもしていません。
ふつうに経済成長させることによってその比率を引き下げ、破綻どころか世界の陸地の4分の1を支配する大英帝国を築き上げました。
我が国の政治指導者及び政策担当者たちにまともな貨幣観さえあれば、やがて大増税時代が来ることなど絶対にあり得ません。